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土曜日、3ヶ月ぶりに東京に行ってみた。
仕事を作って、それに引っ掛けて行くことも出来ないではなかったけれど、今回は完全プライヴェートである。とは言え、金も時間もさほどに余裕が無い。そこで、いい年をこいて軽く荒技に出た。 金曜日の夜、22時30分頃に自宅を出発。まずは刈谷駅へ。この時間に電車に乗るのは久しぶりだ。しかし名古屋方面行きではなく豊橋方面である。どちら行きのホームにもまだ人は多い。まあ巷は週末らしく飲み会の帰りっぽいサラリーマンが大半のようだ。電車は岡崎駅で下車。最近、名鉄の岡崎公園とか東岡崎を利用することはあっても、JRの岡崎駅に来るのはこれまた随分久しぶりだ。駅の東口の景色も前に来た時に比べるとだいぶ様子が違う。 さて岡崎からは高速バスである。夜行の高速バスに乗るのもどれぐらいぶりか。しかも2階建てだ。昔乗ったときに非常に窮屈だった記憶があり、今の自分の体力を考えると不安はあったが、まあ仕方がない。ほぼ午前0時頃、岡崎を出発。疲れもあるせいか、意外に早く寝てしまった。気が付いたら三ヶ日のバス営業所での休憩だった。ここもかつては何度も通過していった場所だ。今を去ること15年程前、当時軽く付き合っていた大学の後輩に会う為に、僕は毎月のように水戸から京都まで通っていた。その交通手段は大概夜行バスだった。だから三ヶ日とか足柄とかにはちょいちょいと、結果的に立ち寄っていたのである。まあトイレとか飲み物休憩ぐらいのことではあるのだが。 三ヶ日を出て次は多分足柄で休憩だったと思う。その時間帯はあまり記憶が無い。何せ夜中も夜中である。次に気が付いたら、霞ヶ関付近だった。車も人通りも殆ど無い霞ヶ関の坂を下るのはいつも不思議な感じがする。 東京駅の日本橋口に到着。朝の5時40分頃。やはり眠い。眠い。眠い。とにかくバスを降りる。頭が無性にぼんやりしている、ということは分かっているが、あまりふらふら歩く訳にもいかない。その反動で、異様にシャキシャキと歩いた、つもりではある。周りからどう見えていたかは知らん。 朝の5時台、当然のように行く所は無い。しかしこういう経験を何度もしてきたし、まして電車好き度が上がっている今の僕は、時間つぶしと休息を兼ねた行動を取ることに決めていた。 東京駅からの大回り乗車である。130円の切符を買って、まずは山手線で新宿まで乗車。新宿からは中央線に乗り換えて西国分寺まで行く。今度は武蔵野線でダラダラと西船橋まで乗って行く。そこから総武線でお茶の水に。それがゴール。ちんたらちんたら行ったので、それで9時30分ぐらいにはなった。お茶の水からは神保町まで歩いて行って古本屋を物色。その時間でようやく店が開き始めるぐらい。 神田でお昼まで時間を潰して、また東京駅に戻る。唯一の用事は、僕の「音楽上の兄」のような存在であるIさん(と言っても、あちらは大学の教授なのだが)と会うことだけである。Iさんとも数ヶ月ぶりだが、例によって話が弾む。とても楽しい時間だった。 Iさんと別れた後、もう少し時間があったので、丸ノ内線で本郷3丁目へ。楽譜店のアカデミアを覗いておこうと思ったからだ。欲しいものが無い訳ではなかったけれど、イマイチ気分が乗らなかったので何も買わずで、また東京駅まで戻った。 結局、東京まで来たのに旅費を除いたら1000円も使わなかった。物欲が薄れたせいだ。しかし単純に喜ばしいことかどうか。 さて帰途につく。ここからまた体力勝負である。17時40分発の高速バスである。夜行ではない。何故か知立→刈谷→知多半田行きの高速バスがあったから。思った以上に乗客は少なかったから、結構寛ぐことは出来た。これですっきり快晴だったら富士山も見えただろうに。足柄と浜名湖辺りで休憩を取って、刈谷駅に着いたのが22時30分過ぎだった。ほぼ5時間。早いと言えば早い。 しかしこの24時間で半分以上は乗物に乗っていたのだから、やっぱり楽ではない。 東京に行ったと言えば行ったし、遊ばなかったと言えば遊ばなかった。そんな中途半端な上京の旅。 ▲
by mwaka71
| 2009-06-29 00:45
| 日々のこと・雑感
雑誌の<switch>の最新号を目にしたくて、ここのところずっとウズウズしていた。<switch>からは随分の間、離れている。以前はこのテの雑誌、例えば<H>とか<cut>とか<studio voice>とかは、結構目を通す機会が多かった。まあ大概は緒川たまき関係だったのだけれど(笑)。
しかし、この数年は僕自身の経済的な問題や、ややああいうノリとの気持ちの上での距離感を感じていたから、立読みすらしていなかった。 だが今読みたくなった理由は、またしても笑福亭鶴瓶ネタである。僕の中でのお笑い基準は、タモリ、みうらじゅん、そして鶴瓶だと思って良い。最近、鶴瓶の露出度がまた増しているようで、ファンとしては嬉しい。 という流れでの<switch>の特集が今回は彼だったので。 写真の多さときれいさ(被写体がどうとかではなくて/笑)はともかく、見事なまでに総力特集っぽかったのがまた嬉しいこと。鶴瓶への取材も単に<ディア・ドクター>絡み程度にとどまらず、きちんと彼の出所から追っかけていたし。それは、ちょうど今春から鶴瓶(と小泉深雪)の司会で放送されている<A-studio>のように、非常に深く掘り下げた内容だと思う。それは、鶴瓶の周辺に居る人たちへのインタヴューについての人選がまた素晴らしくヴァラエティに富んでいたことからも分かる。もっとも、それは、今、鶴瓶が出演している番組や映画などの共演者や関係者ではあるのだけれど、それにしてもオセロ松嶋尚美や西川美和はともかくとしても、タモリや浅野忠信、山田洋次までそこには出てくるのだから、やっぱりスゴい。そう言えば、とんねるず木梨憲武との対談部分も面白かった。 そして特集全体を見渡した時に思うのは、今更ながらではあるけれど、笑福亭鶴瓶という人の面白さの原点が徹底した「人間好き」にあること、である。見事なまでに「人間嫌い」の真逆だ。普通の人間なら、ちょっと変わった人に出くわした時、驚くなり、軽い嫌悪感を抱くなりして、距離をじわじわと開けていくはずなのに、鶴瓶は逆のようだ。それに加えて、彼の美点は、基本的に人を本質的に貶めての笑いを求めない、ということだ。毒舌ではなく、厭味でもなく、人を笑わせることが出来る、という意味だ。これは意外に大変なことだと思う。 ということで、かなり手応えのある特集だった。 しかし、あまりにもそれで満足してしまったし、何よりもガッツリと立読みしてしまったので、結局、買わず、である。書店と出版社には申し訳ないのだけれど。 ▲
by mwaka71
| 2009-06-25 01:50
| 日々のこと・雑感
明日は正月以来の大分である。
帰省の理由はこの数日中にまた別に改めて書くことになるだろう。 さて、希望としては明日のお昼頃には別府に居たい。そうは思うが、今日は今日でもちろん定時までは仕事をせねばならない。じゃあ退勤後に早速移動、と思い調べてみたものの、それが意外な程うまくいかない。 もちろん、明日の早朝に出発すればもちろんその時間に別府に着くことは可能だ。だが、早起きが苦手な僕としては(いや、正確に言えば夜更かしが過ぎるのであるが)、出来れば今夜のうちに出発しとくのもテだった。 例えば夜行バスとか。不思議なことに名古屋〜大分で夜行バスが有る。関西〜大分便が無いのに、である。12時間はキツいが仕方ないとは思いつつ、調べてみると、どうも満席っぽい。なのでバスは早々に諦める。 次。頑張って関西まで出て大分か別府行きのフェリー。だがこれもどうやら間に合いそうにない。それに燃料代の高騰があったせいか、どうも以前より料金が上がっているように見える。どちらにしてもこれもダメだ。 次。新幹線とソニックを乗り継ぐパターン。これは明朝発でも同じことなのだが、寝過ごしの怖れは無い。しかし、退勤時間から見ていくと、あまり余裕の無い状態で刈谷を出発しないとこれもまた無理。 ということで、目覚まし時計頼みで明朝出発にする。 さて、本来、まあ例えば去年ぐらいまでなら僕は間違いなくこうしたであろうというのは寝台特急である。何と言っても<富士>だ。名古屋発が22時台だし、京都や大阪に先乗りして午前0時とか1時台で、そのまま寝てしまっても終点大分が午前11時台。この上なく都合が良いではないか。 更にもっと前なら<彗星>というテもあっただろう。 同じように寝ながら移動可能にしても、やはりバスのリクライニングと列車の寝台ではまるっきり違う。そりゃあ寝台の方が良いに決まっている、少なくとも僕にとっては。 と、繰り言を言っても仕方ないのだけれど。 さあ、そろそろ寝支度しないと寝過ごしてしまうな。 ▲
by mwaka71
| 2009-06-20 00:10
| 日々のこと・雑感
引越後、初の映画鑑賞。この前、最後に映画館に行ったのはいつだったろう。と思って以前のブログを調べてみたら去年9月以来の可能性が大である。因みに、その際に観たのは<アレクサンドル・ネフスキー>だった。今回と同じく音楽目当てである。
今日訪れたのは「名古屋シネマテーク」という映画館。ネットで名古屋の映画館を調べた時に行き当たって興味は持っていた所だ。僕のこれまでの映画鑑賞体験のほとんどは、いわゆるミニシアター系の映画館だし、そもそもハリウッド系の作品にはさして関心が無い。まあ、大分に居た時に通った「シネマ5」の影響が大きい、ということでもある。 さて今回何故<リア王>を観たか、と言うと、それは最初に書いたとおり、音楽目当てである。作品としては、ソ連で1970年にグレゴリー・コージンツェフの監督で製作されたものなのだそうだ。実はその部分は僕にはオマケの情報でしかない。音楽=ショスタコーヴィチ。これだけが目的だ。 1970年の作品とは言えモノクロである。原作は当然シェイクスピアだが台詞は全てロシア語。しかし、大方の話の筋自体は知っているから、鑑賞上困ることは特に無い。そして極めてオーソドックスに話も展開されるから、分かりやすい。フツーにリアリズムと言うべきか。 ただ、今手元に本が無いから確認出来ないのだけれど、例えばリアがコーディリアを勘当する場面とか、リアが狂っていく場面とかが、結構あっさりとそこに至ってしまうので、観ていてこっちが置いてかれそうな感じがしてしまう。またグロスター家の話も、サイドストーリーとして重要だろうとは思うのだけれど、今ひとつすっきりと入ってこないのはどうしてだろう。 しかし、やはり全体を覆う陰惨な雰囲気には心動かされるものがある。モノクロの映像もそうだし、明らかにイギリスの風景ではないと分かるロシアの風土が醸し出す気配も、変な表現だが、その陰惨さを引き立てる。そして音楽。全体136分の内に音楽が流れている時間は思った程多くはないが、非常に印象深い。最後期のショスタコーヴィチの音楽らしい、重苦しさ、刺のある感じがかなり現れている。もちろん物語自体もそうなのだけれど、完全に向いている方向が一致しているように思える。何回かあるトランペットのシグナルや、重々しい無伴奏合唱の響き、<バビ・ヤール>や<死者の歌>を思い出させる苦い音楽など。 <アレクサンドル・ネフスキー>の時もそうだったが、やはり映画の流れを前提とした音楽だから映像と共に鑑賞すると味わいも随分違う。 ということで、今日から名古屋での映画館通い(と言える程の頻度はないだろうが)もスタートである。 ▲
by mwaka71
| 2009-06-10 23:24
| 芸術
前々から名前は知っていた。今春からこちらに引っ越してきたことだし、職場の上司も観劇を薦めていた。ということで、劇団B級遊撃隊の芝居を初めて観た。以下、初めてなりの感想。
<夜明けの奥地>という作品で、3日間4公演中の僕が観たのは3公演目にあたる。 演じられた場面を追っかけて、ここで改めて書き出す必要はないだろう。 恐らく同一人物であろう「私」を6人の女が演じる。特定の一人に割り振るのではなく、複数で演じることで個性が消える。人が持つ多様性を示すと言うよりは、抽象化した存在として、ということだろう。ただし「彼女」が「主人公」であるかどうか。 名前も分からないし、何処から来たかも何処へ行くべきかも、そもそも現在地点が何処かも分からない。意識の中なのか無意識の中かも、あるいは現実か幻想かも分からない。劇中では一応「スズキさん」であったり「タカシマヤ」とか「カドヤ」といった固有名詞らしきものが現れるが、それも大して意味を持っているとは思わない。「私」の位置付けの「仮留め」みたいなものだ。 そうした宙ぶらりんな状態の「私」に対して男が存在する。しかしこれもまた随分曖昧な存在だ。それでも彼(と言ってもやはり複数の男が演じている)が居ることで、とりあえずの関係性が何となくは見えてくる。 しかしそれもまた不安定で、結局は「仮留め」感の方が強い。途中、地図を作り始める場面があるのだけれど、しかし絶対的な位置を表す地図ではなく、相対的な位置を示す座標軸上での話に思えてくる。周囲との関係性や距離感の中から自分の立ち位置を知ることは可能だ。だが「私」が何者なのか、という自覚を、自信を持って出来るかどうかは疑わしい。 最後に目印となるべき「木」が現れる。そこを基準に新たな「旅」が始まるようにも見えるし、永遠の円運動の中での出発・停止の繰り返しの一部のようにも見える。 悲劇だとか喜劇だとかとは全く異なる、「とりあえず自分の存在をどう捉えておくのか」という問いがドンと目の前に置いていかれたような気がする。 ▲
by mwaka71
| 2009-06-06 22:22
| 芸術
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