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1989年のことだ。大学生の僕はオーケストラのサークルに所属していた。高校時代にブラスを経験した野郎が同期に多かった。それぐらいの年齢だとヤカマシ系のクラシック音楽に特に興味を持つものだろう。だから、という訳でもないがショスタコーヴィチの交響曲の人気は仲間内では高かった。有名な5番は当然。ただ15曲全ての交響曲がよく知られていた訳でもない。あとは7番<レニングラード>や8番とか10番とかあたりだったろう。
そんな時期に誰かが11番<1905年>のCDを持ち込んできた。演奏はセミヨン・ビシュコフ/ベルリンpoだった。 静かな緊張が続く第1楽章から、怒濤の第2楽章に移る。この楽章のクライマックスは「血の日曜日事件」と呼ばれる帝政ロシア末期の大虐殺事件を描いた部分である。広場に対峙するデモ隊と軍隊。突然始まる一斉射撃。大混乱する民衆。その場面がフーガで示される。音楽史上これほど悲惨なフーガがあっただろうか。第3楽章は悲しみと葬送である。そしてフィナーレは来るべき民衆による革命を予告する鐘の音で激しく劇的に閉じられる。 1989年にこの交響曲を知ったことは、僕には大きな意味があった。その年は、東欧の共産主義政権の崩壊、即ち「東欧革命」があった年でもある。そしてこの交響曲をイヤでも彷彿とさせる状況があった。ルーマニアのチャウシェスク政権が倒れるまでの状況だ。チェコあたり(無血の「ビロード革命」)とは異なり、体制側が最後のあがきを行ったために流血の革命になってしまった。この結末は、不可解な裁判によるチャウシェスク大統領夫妻の銃殺というかたちで閉じられた。 実に後味の悪いことだった。同時に民衆の怒りの力を強烈に思い知らされた出来事でもあった。この「民衆の怒りの力」こそが、ショスタコーヴィチの交響曲第11番<1905年>を貫く重要なテーマだと実感した。 それ以来、不当な権力の行使を知ったとき(自分自身に降り掛かることだけでなく、国内外を問わずに)、僕のアタマの中ではいつもこの曲が流れるようになった。 今でこそ人気曲になった(無論、ショスタコーヴィチの交響曲の中で、というレヴェルだが)が、やはりエフゲニー・ムラヴィンスキー/レニングラードpoという古い古い旧ソ連時代の演奏に尽きると僕は思っている。 ▲
by mwaka71
| 2005-10-31 02:26
| もの思う日々(第1期)
その昔、と言ってもつい10年程前ぐらいまで、僕は何故かラテン系の音楽は苦手だった。その陽気さがどうにも自分の肌には合わないような気がしたからだ。
しかし、ジャズ・ボッサから始まるブラジル音楽との出会いや、かのブエナビスタ・ソシアル・クラブのようなキューバ歌謡辺りを知るようになって、一面的な明るさだけではない音楽や、何よりもそのリズムの多彩さが僕の好みにハマることに気がついた。考えてみれば、僕はもともとバーンスタインの<ウエストサイド・ストーリー>はずっと前から好きだったではないか。ラテンを好きになれないはずはない。 前置きが長くなった。ペレス・プラドである。これまたようやく、というか、ついに、である。 プラドと言えばまずは<Mambo No.5>。「ア〜、ウーッ!」である。正直この曲の何処が良いのか分からなかった。僕にとってはマンボと言えば上述の<ウエストサイド>のマンボのことである。あれよりカッコいいマンボなんて存在しない。はずだった。だからプラドは先週まで聴いてこなかった。 だが中古CDで彼のベスト盤に手を出した。それはプラドが完全に定番化してからのものではなく、出始めた頃、つまり1940年代終わりから50年代前半にかけての録音によるものだった。彼に限らず、出始めの勢いが後年よりも素晴らしい、ということはよくあることだ。 ネどが満載なのだ。僕からすれば「ヤラレタ!」感が抜群のナンバーだ。 <Mambo No.5>の(多分)最初の録音もあった。ちなみに「ア〜、ウーッ!」とは叫んでいない。「ウーッ!」だけだった(笑)。あたかも和田アキ子がどこでも「ハ!」と叫んでいるように思い込むのと同じことだな。 (文章データ欠落)因みにこっちは、本家の方がテンポ的にも遅い。 (文章データ欠落)のようなハードな響きだ。その響きがリズムをバシバシとアテてくるのだから、たまらない。 以上、季節外れのマンボ・ブームについてお伝えしました。 ▲
by mwaka71
| 2005-10-30 02:17
| もの思う日々(第1期)
僕は中学生の頃からブルックナーの音楽が好きだった。しかし、彼の音楽の深さは、実はそれぐらいの年齢ではそうそう分かるものではない。当時はオケの発する大音響に酔う、という程度だった。とは言え、今だって理解しているかどうか。
初めて買った彼のレコードは、有名な交響曲第4番<ロマンティック>ではなく、何故か第9番だった。LPではとりあえず1枚に収まっていたからだ。 その荘重さは、ベートーヴェンの第9番の出だしが荘重でありながらも運動的だったのに比べると、際立っているように思えた。静かに重々しく始まり、次第に高ぶり一旦爆発する。後に続く穏やかで悲壮なまでの美しさに溢れた第2主題部から、淡々と歩む第3主題部に移っていく。スケールの大きさ、という表現が陳腐に思えるぐらいに、巨大な音の伽藍が築き上げられているのだ。 第3楽章、アダージョは、もはや彼岸の美だろう。時折聴こえる不協和な響きが強い印象を与える。第1主題部から第2主題部への移行する、まさに荘重な音楽について、ブルックナーは「生からの別れ」と呼んだ。実際にはそこだけでなく、楽章全体がそうだ。美しく、重い。 マーラーの交響曲のように人間臭く、悶え苦しみ、闘い、突っ走る、などのような多様さが詰め込まれた音楽とは違う。そしてブルックナーのそれまでの交響曲とも異なり、ある種の俗っぽさを完全に超越した存在として、第9番は存在する。そうなり得たのは、実はこの曲が未完成に終わったからかも知れない。第4楽章まであったら、恐らく壮麗な終結をしたに違いないが、それにより、変な表現だが頂上が見えてしまうのだ。未完成であるが故に頂上は永遠に見出せない。 ▲
by mwaka71
| 2005-10-14 23:39
| もの思う日々(第1期)
週末、ついに念願をひとつ果たした。ヤナーチェクの歌劇<利口な女狐の物語>の上演をナマで観たのだ。
吉田秀和の<私の好きな曲>でこの歌劇のことを書いていた(名文!)のを初めて読んでからどれくらい経っただろうか。少なくとも15年くらいは経っているはずだ。 客電が落ちる。指揮者が登場する。音楽が流れ始める。レコードでは何度も聴いて来た、あの繊細にして生命の動きを感じさせる美しい出だし。僕はいきなり泣いていた。ああ、この音楽をナマで耳にすることが出来た! そういう感動である。 本場チェコの歌劇場の引越公演ではあるが、やはり一流とは言えない。歌手陣は頑張っていたと思うが、いかんせんオケが弱い。弦のプルト数も少ないし、指揮者もリズムに対して冴えた感覚を持っていたとは思えない。舞台美術も、いかにも引越公演的なもので簡単なものだった。 だが、二時間にも満たない上演時間の間で、僕は何度涙を流したことか。音楽が素晴らしいのだ。メロディに傾きすぎる訳でもなく、リズミカルな動きばかりに終始する訳でもない。しかしこれが十分に個性的、独創的なのだ。並行して共存する、人間の世界と森の生き物たちの世界を区別なく描き出す。大いなる共感と愛情に、軽い苦みを添えて。 オーヴァーに思われるかも知れないが、僕個人にとっては、生きていて良かったな、と素直に思える、それぐらいのレヴェルの音楽なのだ、これは。 ▲
by mwaka71
| 2005-10-10 03:12
| もの思う日々(第1期)
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