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性生活、と書くとまどろっこしいのでストレートに書く。セックスとは何か、をテーマに全米でその実態調査を行なった実在の学者、アルフレッド・キンゼイの物語である。彼の研究は1940年代のことで、社会的にまだ偏見や無理解が支配していた時代でもある。この映画の中でも、キンゼイが生真面目であるが故に周囲とぶつかるさまが描かれている。
セックスを扱うことは倫理に反するのか。キンゼイが世間の槍玉に挙げられるさまは、ガリレイの異端審問にも似た光景である。二人に共通するのは、自分たちの取り組んでいる問題は、人間にとって重要なことだという信念である。このテの信念は時に道を誤る場合があるが、彼らは間違っていないと思う。 セックスという行動の形態は個人によって異なる、というのは何となく理解できる。まして恥ずかしいことではないと思う。だが本当に大事なのは、それに至るまでの過程なんじゃないだろうか。単なる衝動的行為で終わるのか、それとももっと大きな意味を持つものになるのか。介在すべきは愛なのだろう。ただ、一方であまりに神聖なもの扱いするのもどうかとは思う。告白しておくが僕はみうらじゅん的に言えばDTなので、その程度の表現しか出来ないし、本来このことを語る資格があるかどうかも分からないのだが。 一方で言えること。もし宗教や倫理観が人を不幸にするのならば、それらはその存在意義を検証され、疑われなければならない。そう思う。 ▲
by mwaka71
| 2005-08-28 22:35
| もの思う日々(第1期)
僕は、小学校から高校時代にかけて「歴史少年」だった。もともと小学校に上がる頃に日本の城郭に興味を持ったのがきっかけだった。何で好きになったのかは、今でもいまひとつ分からないのだが(笑)。
さて、そんな時期を経て僕は僕なりの日本の歴史観というものをつくってきたはずだ。もちろんこれは程度の違いはあるにせよ、日本で教育を受けた人全てに共通のことだと思う。日本はもともと農業社会であるとか、被差別民は政治的に作られた制度だとか、女性の自由は殆ど無かったとかいったようなことである。 しかし、そういった既成概念を見事に覆してくれる学者さんが居る(正確には居た、だが)。網野善彦である。前に彼が足利義満が天皇家から皇位を奪おうとしていたあたりのことをテーマにした<異形の王権>という著作を読んだことがあり、それはとても興味深く面白く読めた。それで今回表題の本が文庫で出たので久しぶりに読むことにしたのだ。 「百姓」ということばイコール農民ではないとか、日本は絶対的な農業社会ではなく、商工業も水上交通での流通を軸として非常に盛んだったとか、被差別民は本来宗教的に特別な役割を持った人々であり差別の対象ではなかったとか、目から鱗が落ちるような話ばかりであり、僕らがかつて学んだ日本史よりも遥かにダイナミックな社会であったことが分かる。 自虐史であろうと民族史であろうと、どうこう言う前に、まず日本と呼ばれる社会の実態をより正確に知らなければその先には行けない。史実は史実として受け止めなければ、偽りの歴史を積み重ねていくことになるからだ。 ▲
by mwaka71
| 2005-08-28 11:27
| もの思う日々(第1期)
夏目漱石の<二百十日>と<野分>を読み終えた。浮ついた社会に対する批判精神を持った人間が主人公である、ということは共通したポイントだが、前者はどうにも読み応えが無かった。ほとんど二人の男の会話ばかりで進行するのが、落語的にさえ思えて、それはそれで面白かったけれどそこまで。
<野分>にしても、登場人物が、少なくとも現在の視点からすると、かなり紋切り型な人物像として表れていてリアリティに欠けているように見える。その分、やや説教臭いというか、漱石の考え方が生硬なまま出てしまったとも言えるだろう。裏を返せば分かりやい、ということで、<こころ>や<行人>のような、読後にかなりの衝撃を与える作品とは違う。 それでも<野分>で心に残ったことは、もちろん、ある。例えば、飄々と我が道を歩む白井道也の台詞である。「君は自分だけが一人坊っちだと思うかも知れないが、僕も一人坊っちですよ。一人坊っちは崇高なものです。」というもの。あるいは「わたしは名前なんてあてにならないものはどうでもいい。ただ自分の満足を得るために世のために働くのです。結果は悪名になろうと、臭名になろうと気狂になろうと仕方がない。ただこう働かなくっては満足が出来ないから働くまでの事です。」 僕は自分の道のために「一人坊っち」になることを恐れている。しかし本当に自分が信じるなら、その道を歩むしかない。躊躇があるのはその道を信じ切っていないからだ。信じれば、その歩み自体が力になるのだろう。 ▲
by mwaka71
| 2005-08-19 02:34
| もの思う日々(第1期)
1950〜1960年代後期ぐらいに発売されたBLUENOTEレーベルのレコードほど、ジャケ買いをしたくなるものはない。今、CDで持っていても、同内容でそのLPが欲しくなる。ジャケットがひとつの作品だからだ。はっきり言えば、クリスチャン・ラッセン(笑)やヒロ・ヤマガタ(笑)などに何万円、何十万円もかけるより、安い上に遥かにイイ感じなのだ。
その数あるBLUENOTEのジャケットの中でも、僕にとっては自分の好みの上位に必ず挙げたいのがホレス・パーランの<US THREE>という作品だ。数字の断片が特に意味を持たずに並べられたデザインは、CDサイズで見ても大胆。ということはLPサイズならもっとスゴい、ということになるだろう。 さて、じゃあ肝心の音楽は、というと、僕自身はこのアルバムではほとんど1曲目のアルバム・タイトル曲しか聴いていない。とは言え、他の6曲が無くても、1曲目さえあればOKだったりする。それだけ強烈なのだ。 ベースのつま弾きで曲が始まる。ピアノが扇情的に続く。そしてブラッシュでドラムが加わる。最初の1分の中でドラマがありまくり。その後3分半あたりのピークに至るまで、ずっと音楽は登りっ放しで盛り上がる。下世話なノリかもしれないが、ちゃんとカッコ良さも含まれている。イイなあ。 2ヶ月に一度は聴きたいこのノリ。 ▲
by mwaka71
| 2005-08-04 23:59
| もの思う日々(第1期)
僕は「素敵」ということばをあまり使いたくない。どうにも、その単語が醸し出すキラキラ感が、自分の思っていることと一致しないような気がするからだ。
とは言え例外は、もちろん、ある。 その例のひとつ。ラヴェルのソナティネ。これはまさに「素敵」な音楽だ。第1楽章の出だしのフレーズからしてそう。軽やかで透明感のある音楽。端正なハイドンや、愉悦のモーツァルトとは違う。当然、ベートーヴェンやロマン派の作曲家たちからは生まれ得ない、爽快さ。 全3楽章、わずか10分程の曲なのに、スケール感の不足は微塵も感じさせない。それどころか各楽章のテーマが関連性を持つこと、あるいは意外に(笑)きちんと存在する形式感などに気が付くと、実は「素敵」だけでは済まされないラヴェルの職人芸も見えてくるのだ。 恐るべしラヴェル、である。 ▲
by mwaka71
| 2005-08-02 23:57
| もの思う日々(第1期)
ハンガリーのロックとは?
ドラムがドカドカと鳴り、エレキギターがギュンギュンいうようなやかましい音楽か、というとまるっきり違う。 そもそもチェンバロ1台のための曲である。じゃあバッハのようなノーブルなノリか、というとまた違う。やはりロックなのだ。 まずは8分の9拍子で書かれてはいるが、3で割り切れないリズムパターンが低音部でしつこく何度も繰り返される。その上に早いテンポの細かいフレーズがきらきらと飛び回る。しかしどことなく東欧の民謡調の不思議なメロディが随所で聴かれる。そんなメロディがそもそもチェンバロで弾かれること自体、楽器のイメージを大きく覆す。 5分程の曲だが、始まって直ぐに「カッコええがな!」と思う。やっぱその意味ではロックか。ちょうどCMでV6の岡田准一が「関係ないぜー!」と叫ぶようなカッコ良さと同じ、のような気もする(強引か/笑)。 ハンガリー出身の作曲家、リゲティの小さな名作。1978年作曲。 演奏:エリザベト・ホイナツカ(チェンバロ) ▲
by mwaka71
| 2005-08-01 23:57
| もの思う日々(第1期)
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