鈴木清順という人は、弟(鈴木健二/元NHKアナウンサー)とは全く違い、何か人を喰ったような独特な味わいを感じさせる。彼が俳優として登場する時は、そもそもそのキャラクターを全面に出すようなものだから、それは当然だ。しかし、映画監督として表現する時の人の喰いっぷりは、観る者の想像の及びもつかないことがよくある。
以前にスカパーで彼の作品を何本か観ることが出来た時は、それぞれに見事な飛びっぷりで大いに楽しんだ。<殺しの烙印>に登場する変てこな殺し屋、<東京流れ者>の「過激」と言うべきレベルに達したキッチュさ、退廃とキッチュが何故かバランスよく同居する<ツィゴイネルワイゼン>あるいは<陽炎座>など、とにかく驚かされ放しだった。
さてそんな鈴木清順の1966年の作品<けんかえれじい>をスクリーンで観た。単純な青春映画ではなく、やはりトボケの入った楽しい作品だった。権威に反抗することこそ男らしさの象徴、という前時代的な(もちろん舞台設定された昭和初期では、それは不思議なことではなかったのだろうが)考え方、しかもそれが段々とエスカレートして行く様を弄び切っているのが、とにかく面白い。
そして、そういうストーリー展開の楽しみだけでなく、モノクロでありながらもそこに色彩を感じさせる演出も随所にあり、それもまたさすがだ。
因みに、観客はまたしても管理人を入れても2人だった。残念。