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<春の祭典>について。
この曲が凄いのは、もう初演から100年ばかり経とうかというのに、未だに前衛的な佇まいを聴き手に見せることである。じゃあ、そのどこが? 全編を覆い尽くす程の不協和な響きはもちろん「ゲンダイ音楽」的ではある。また、その響きを表すための巨大な管弦楽と無遠慮な打楽器。 だがそれら以上に重要なのはリズムだろう。変拍子のオンパレードであり、安定した間合いを聴き手にはなかなか感じさせない。たとえ2拍子であっても、アクセントの位置を頭に置かないことで拍節感を奪う。更にポリリズム。何パターンかのリズムが同時に奏される、というのはクラシック音楽では新しい語法だったはずだ。 <火の鳥>に続いて<ペトルーシュカ>が世に出た時、それは多少の違和感があったにせよ好意的に迎えられている。<ペトルーシュカ>には複調やポリリズムの箇所が含まれているけれど、それらはまだ部分的だったし、全体的に明快さの方が勝った音楽だから聴衆にとって難解過ぎたということは無かったのではないだろうか。 だが<ペトルーシュカ>から<春の祭典>へのストラヴィンスキーの音楽の進展は多くの聴衆の想像を完全に大きく超えるものだったろうし、予想外も甚だしかった。そうでなければ初演時にあれだけのスキャンダルは起きない。もっとも、その問題については視覚面での衝撃ももう片方には存在している。それはニジンスキーの振付けである。およそバレエとは思えない不自然な動きに対して、聴衆いや観客が否定的な反応を露にしたのだ。<ペトルーシュカ>でいくらか示されていた土俗性が今度はストレートに題材として、音楽として、振付けや衣裳として表現されたのである。しかもそれらは愛すべきエキゾチックなものではなくて、野蛮で攻撃的な性格の強い表現として捉えられたのではないか。 ストラヴィンスキーにしてみれば「新しさ」に対しての自覚はあっただろうが、秩序の破壊だとか新しい美学の提示とまでは考えていなかったように思える。もし彼が「新美学」を打ち立てる意志があったなら、この路線の作品をもっと書いていたはずだ。<結婚>は一応<春の祭典>の路線にも繋がる作品と言えなくもないだろうけれど、その土俗性は素朴の美に昇華されているように僕には感じられる。 しかし、ストラヴィンスキーの自覚以上に<春の祭典>は大きなインパクトをもって受け止められたし、今でもそれはそんなに変わってはいないだろう。ただ、もちろんこの作品の革新性の多くは攻撃性の強い表現に基づくものではあろうが、一方で対照的に極端なまでに繊細な部分があったからこそ、ということも僕たちは意識しなければならない。第1部の序奏や第2部の序奏と<乙女の神秘的な踊り>辺りの音楽について、僕は本当に美しいと思う。ドビュッシー的なものすら覚える。例えば第2部の序奏の中で、ミュートを付けた2本のトランペットだけがpで吹くフレーズはどうだろう。5拍子や6拍子のたった1小節のフレーズが何度も繰り返される。単純だが妖しささえ漂うフレーズである。僕の<春の祭典>の愛聴盤はピエール・ブーレーズがフランス国立放送oを振ったもので、その後2回のブーレーズの録音は最初のもの以上のインパクトは無いと思っている。しかし、DG盤を初めて聴いた時、前述した繊細さをビックリするくらいに感じることが出来た。その時初めて<春の祭典>の本当の素晴らしさを知ったような気がする。 もちろん、これは聴く側の意識の持ちようひとつではあるのだが、どうしてもダイナミズムを先に期待してしまうのである、<春の祭典>という作品に。だが本当にポリリズミックで野蛮な作品をストレス発散的に聴くのであれば、レブエルタスの<センセマヤ>を聴いた方が良い。まあ、あれはあれで僕は大好きな作品なのだが。
by mwaka71
| 2011-02-27 23:45
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