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寝台特急<富士>がいよいよ姿を消すことになった。
やっぱり残念に思う。 僕が初めて<富士>に乗ったのは20年前に、大学受験で東京に行くためだった。もちろん飛行機に乗っても良かったのだが、当時、僕は今以上に飛行機が苦手だった。と言うより、まだ乗る勇気すら持っていなかった。早いのは分かっていても、それだけではふんぎりが付かなかった。 そんな消極的理由ではあったのだけれど、結果的に<富士>の旅は面白かった。出発の日の夕方、大分駅には父と、僕の友人で数年後交通事故で亡くなってしまったO君が見送りに来てくれたはずだ。そしてその頃はまだ大分始発ではなくて、南宮崎あたりが始発ではなかっただろうか。 受験の旅だから、当然参考書やら何やらと数日分の着替えなど、結構な大荷物の移動だったし、そもそもほとんど初めてに近い一人旅だった。東京にしたって、前年に修学旅行でチラッと訪れた程度で、実質的には初めてみたいなものだ。心配が無いと言えば嘘になる。そんな状況である。 とは言え、いざ発車してしまうとそんな不安よりも車内生活が新鮮に思えた。普通のB寝台だからそんなにリッチな感じにはどうやったってならないが、それでも全てが面白かった。車窓の風景、自分がこれから半日過ごす寝台の設備、寝床の準備など、どれもだ。 通路側の席に、小倉までの立席特急券で乗っていた人がどれだけ居たかは覚えていないが、この数年のガラガラな雰囲気とはまるで違って、結構乗客は多かったと思う。それに、やはり近年は一緒に乗り込まなくなったワゴンの車内販売も当時はあった。 2月くらいのことだから、宇佐とか中津辺りで既に真っ暗だったのだろうが、だからと言って大人しく寝ようとも思えない。門司を出て関門トンネルに入る時も少々ドキドキしていただろう。そして本当に夜になってしまって、周りの乗客が寝床を作ってカーテンを閉めてしまった後でも、まだまだ寝る気分ではない。一応は僕もカーテンを閉めはするけれど、ブラインドを降ろした窓の隙間からずっと外の景色を夜中まで眺めていた。山口だか広島辺りの山間で、田畑の真ん中にポツンと光る自動販売機の景色を何故だか今でも覚えている。揺れる列車の中で果たして寝られるか、と最初は気になったが何のことは無い。ちゃんと睡眠を取ることが出来た。 翌朝、浜松辺りだっただろうか、既に外は明るくなっており、海=太平洋に太陽の光が反射してまぶしいくらいで、綺麗だった。朝になると、また車内販売が始まって、朝食を買い求める人が結構居た。洗面所で歯磨きをする人や髭を剃る人も居た。東京に着くまでにはまだ数時間はあるから、余程余裕を持って行動する人なのか、途中で降りる人なのか。 大船辺りに差しかかると、ちょうど朝の通勤時間帯で、ホーム上で多くの人が慌ただしく動いているのが見える。発車のベルというか音楽というか、それがその慌ただしさを一層引き立てているようにも思えた。決して僕らが優雅な訳ではないのだが、その慌ただしさは寝台特急側から眺めると、とても他人事のようにしか感じられない。やがて終点の東京駅に到着。大分から18時間ぐらいかかるが、しんどいとは思わなかった。 その時の僕のスケジュールは、東京のR大学を受験して、一度大分に戻って、一週間後にまた別の大学を受けに上京する、というものだった。都合、3週間で東京を2往復したのだが、全て<富士>を使った。初回程のインパンクトは無かったにせよ、つまらないとかよだきい(=大分方言で「面倒くさい」の意)、と思ったことはない。 そんな受験旅行をして、実際、東京のいくつかの大学に合格はしたけれど、結局僕が進んだのは関西の大学だった。関西から東京に行くためには<銀河>、また関西と大分の移動のために<彗星>に乗ることはあっても、東京や大分に行くために<富士>に乗る機会はその数年間はほとんど無かったと思う。まして、大分での仕事に就いてからは、東京に行くには限られた時間のせいでやむなく飛行機を使うようになった。 しかし、やっぱり<富士>には乗りたかった。 最後に<富士>に乗ったのは一昨年のこと。大分から東京の往復ためである。昔とは違って、大分始発だし、乗客は少ないし、車内販売も無い。随分淋しい雰囲気だったが、僕は楽しかった。 まだまだ機会があれば何度でも乗りたかったし、個人的に残念なのはA寝台にとうとう乗れないままだった、ということである。 何だか、旅の醍醐味がグッと減ってしまったようで残念だ。
by mwaka71
| 2009-03-13 02:35
| 今日ふと心に浮かんだ考えは。
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