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不景気である。
僕は今の景気とは無関係に低所得なのだけれど、それでも不景気、不景気と言われると気分はよろしくはない。幸いなのは何とか借金を作らずに生活していることだ。 内田百閒が借金魔だったことは有名だ。晩年はそうでもなかったらしいが、壮年期にはかなりの借金をしていたようだ。普通、借金をしている、なんてことはおおっぴらに言いたいことでは無いように思うのだけれど、そこはさすがに百閒先生である。借金をモチーフにした文章をかなり遺している。それを一冊にまとめたのが、ちくま文庫版の<大貧帳>である。 凄いな、と思うのは、宮沢章夫の解説にもあるとおり、そんな借金まみれの状態を百閒がまるで他人事のように飄々と書いていることだ。借金をしたことのない僕が言うのはおかしいだろうが、借金をすることは何か後ろめたいものを感じるのではないだろうか、一般的には。それは月々のローンを組むのとも違う感覚ではないかと思う。もちろん、法律上の罪を犯している訳でもないのだが、自分は社会人として大丈夫か、という心配が少なからず起こっても不思議ではない。 百閒だって、借金そのものが良いとは思っていない節もある。それは例えば、金に困った際に、師である漱石からもらった軸を人手に渡した時の情けない気持ちを描いた<貧凍の記>のような作品として現れる。だが一方で、<無恒債者無恒心>では「お金の有り難味の、その本来の妙諦は借金したお金の中にのみ存する」とも書いている。多分、どちらも本音だろうと思う。しかしこれは百閒という人物のなせる業だったのかも知れないが、高利貸しや債鬼との付き合いが長くなるにつれて奇妙な人間関係が生まれてくる。<歳末無題>とか<年頭の債鬼>や<鬼の冥福>とか。その類いの作品で僕がいちばん面白かったのは<うまや橋>という作品である。関東大震災で被災した時も、相手の高利貸しの安否を気にしてみたり、かと思えば高利貸しの息子の買い集める本が何故か百閒の本ばかりだったりと。取り立ては厳しくとも、それでも人と人との繋がり方が現代よりも密だったからなのかも知れない。利子を負けてもらったお礼に魚を高利貸しに贈ってあげようかと考える<第三債務者>のような作品もある。 <大貧帳>にはいくつも笑える作品が収められているが、百閒が森田草平との関係を描いた<百鬼園新装>。百閒が森田の帽子をなんのかんのと言って貰う(=巻き上げる?)話が載っている。一方で<大貧帳>の巻末に森田がその帽子の話を書いた<のんびりした話>が収録されていて、併せて読むとおかしさが増す。 そして<大貧帳>を読み終えてみて怖いのは、借金も悪くはないかな、と思いそうになることだ。
by mwaka71
| 2009-01-13 23:56
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