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ラース・フォン・トリアーは、私にとっては<ダンサー・イン・ザ・ダーク>の監督である。音楽家であるビョークを俳優として起用し、撮影時には彼女を精神的に追い詰め逃げ場を無くすことにより、結果として真に迫るかのような演技をさせたかどで、賛否両論を巻き起こした人物である。私自身はそこまで計算づくであることに拒否反応が無かった訳ではないが、それでも<ダンサー・イン・ザ・ダーク>を公開時2回観た。観たくなる気が起きたからこそである。
ということで<ドッグヴィル>もいろいろな意味で期待をして観た。スタジオの中に辺鄙な田舎町ドッグヴィルを生み出し、とは言ってもそこには最低限の道具があるだけで、床にペンキで地図のように家や家主の名前を書くだけでひとつの町を表現する、という演出/アイデアには驚いた。これは限りなく演劇に近づいた映画である。本来はあるはずの家の壁や屋根を完全に取り払った状態は、登場人物、即ちドッグヴィルの住人たちの態度や心理が、観る者だけでなくその場にいた演技者全てからも見通せるのである。この状態は恐ろしい。壁や屋根がないということは、他人の心理を想像する際の障害物が皆無であり、その心理を映す鏡である表情が丸見えなのだ。このストレートさは余計な想像、他人に対する希望的な観測を一切拒んだものであり、ニコール・キッドマンにとってもリアルにたまらない状態だっただろう。 この映画にテーマがあるなら何だろう。集団で秩序を保つための基準になるものと、一般的な道徳感は必ずしも一致しないということだろうか。見せかけの倫理感あるいは偽善を叩きのめすことが、より人間的であり真の倫理であるということだろうか。それとも特定の原因がなくても、人は排他的になり得るということか。テーマがあるなら、多分こういったことも含めての現実の社会のあり方なのだろう。これは、たまたまスクリーンの中の架空の町での物語として描かれてはいるが、どこの社会にでも起こり得る、あるいは現実に起こっていることなのだ。そうであるならば、この作品は実に悲観的、懐疑的な内容ということになる。そこには清々しさなどひとかけらも存在しない。白日のもとに(この作品の中では、月の光のもとに)人間心理の醜さが曝されているのだから。 その意味でトリアーが本当に言いたかったことがラストの部分だけだったとしても、そこに至るまでの2時間数十分は無駄な時間ではない。それまで観る者の多くはたいがいキッドマンに同情しつつ観るはずで、ところが最後にそれで良かったのかどうかという問いを突き付けられるのである。この作品は、<ダンサー・イン・ザ・ダーク>のような有無を言わせないエネルギーはないが、その代わりに観る者に考えさせる余地を十二分に与えたもので、これはこれで大きな意味を持った作品だと思う。
by mwaka71
| 2004-04-03 00:00
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