この作品を観ながら鈴木清順の大正浪漫三部作を思い出した。現実と非現実の間を漂っていくのは非常に新鮮で印象的だった。<赤目ノ>もそうだ。幻想的な場面も多いが、それでも物語りによく溶け込んでいた。しかし鈴木清順と異なっていたのはそこに退廃的とも言うべき美が見つけられなかったことである。
寺島しのぶ。幸薄い役にぴったりとはまっていた。適材適所と言っては失礼だけれど。
二人で瀧の奥へ奥へと進んで行く、一種の道行き。最深部にたどり着くこと自体で、別な意味での心中の「完成」。一方で現実の生死の点で言えば、死なずに戻っていくことでの「心中未遂」。この2時間40分に及ぶ作品の中で最も重要な場面のはずなのに、長く感じられたのは何故だろう。
とは言えこの作品は平成に現れた「昭和浪漫」の映画として、存在は重い。