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随分とカレル・チャペックの作品からはご無沙汰していた。そもそも僕にとってのチャペックは名エッセイストとしてであり、ヤナーチェクの歌劇<マクロプロス事件>の原作者としての存在である。だから、言ってしまえば「本丸」にあたる部分をちゃんとは体験していない、ということになる。
で、<ロボット>。言うまでもなく、現在僕たちが普通に使っている「ロボット」という言葉を生み出した戯曲として有名な作品だ。実際の名付けはカレルの兄のヨゼフに負う所が大きいのだそうだ。 ところで、僕は普段SFを扱った文学作品にはそんなには触れていないし、ましてSF映画はほとんど観ていない。しかし、それでも断言出来るのは、チャペックの<ロボット>がSF作品として非常に問題作(良い意味での)であって、今でも通用する内容を含んでいる、ということだ。それは当然のことながら、ロボットという人造の非人間的存在を扱った、というだけでなく、ロボットが人間に対して反乱を起こしたり、新たな「生命」発生の可能性についてまで、その物語は範疇に収めているからだ。今でこそハリウッドを中心にさまざまなSF映画が制作されているし、この<ロボット>に似たような筋を持っている作品もある。だが、チャペックはこうした内容を1920年の時点で、少なくとも文学、戯曲という形式で世に送り出しているのだ。 このことはチャペックの想像力、創造性の広さを示すものでもあるだろうが、ただ、彼が全くの想像だけでこの筋書きを考えついたとも思えない。要はロボットという存在をどう捉えるか次第なのだ。 序幕で示されているのは、人間よりも効率よく工場での生産作業を行うことが出来るロボットの登場によって、大量生産と低価格が実現され、更に人間自身の労働という行為の無意味化が進む、という社会である。チャペックはロボットという人間でない存在の登場により、としているが、それを安い賃金で働く労働者に置き換えてみれば、これこそ近代以降の社会の一部分そのものだ。しかも、労働という行為の意味で重要なのは、どれだけ安く大量に作れるか、ということの方であって、そこに本来介在している労働者の存在ではない、とまで読んでしまえば、現在の日本の格差社会における「ワーキングプア」の存在との違いが無いようにも思えてくる。 また、ロボットが人間に対して起こす反乱、という行動も、別の表現をすればロボットによる革命である。ロボットよりも圧倒的少数の人間の指示=支配からの解放を力づくで勝ちとろうと彼らは蜂起するのだ。これは1917年のロシア革命の影響もあったかもしれない。 だがチャペックの眼は、捉えようによってはバラ色の新社会への一歩を踏み出すかも知れない革命についても、別の側面や可能性について眺めていたのではないだろうか。ロボットたちは人間の存在やその意義を、ほぼ完全に否定し抹殺しようとしていた。彼らにとっては無駄以外の何者でもなかったからだ。しかし、その全否定自体が結果として、ロボット自体の新たな生産=誕生を不可能にしてしまう行為だった。これを言い換えれば、どんなに新しい社会の実現を望んでも、過去から現在への繋がりまでも全て断ち切って成り立ち得る社会などあり得ない、ということである。現在は過去があって初めて存在し得る。 また非人間的な集団がもたらす恐怖は、1920年代以降起こってくる全体主義的な体制による社会を見れば分かる。その意味でチャペックは1920年の時点で、こうした動きが実社会で起こりうることをも予見していたのかも知れない。 こうした重さを含んだ作品ではあるのだが、最後の方の場面では、ロボットの非人間性が変化を起こす兆しを示す。それは単純な希望だとか楽観だとかを抱くべきではないのだろうけれど、感動的な、捉えようによっては荘重な雰囲気になる。 今のご時勢、<蟹工船>を読むべきかも知れないが、<ロボット>を読んでもいろいろ考えさせてもらえるように思える。
by mwaka71
| 2008-08-10 23:37
| 今日ふと心に浮かんだ考えは。
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