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国立近代美術館のフィルムセンターへ。初。
東京駅から10分程歩く。上映開始の45分程前に着いたが、既に100人近く並んでいたと思う。ついでに言えば、150人の観客のうち、僕よりも若そうなのは1割か2割だったろうなあ。 さて、八重洲くんだり(笑)まで出かけたお目当ての作品は篠田正浩監督の<心中天網島>である。以前、武満徹を特集する番組を観ていたらこの映画が紹介されていて、その時に流れた一場面に強い印象を受けた。それ以来、機会があれば是非、と思っていたので、今回の上映を逃す訳にはいかなかった。 原作は近松門左衛門で、もとは人形浄瑠璃である。それを踏まえた情景、現代の文楽の上演直前の舞台裏、楽屋の様子から冒頭が始まる。しかし、これがただ踏まえただけではないことは次第に理解出来てくる。 あらすじの詳細は述べないが、ざっくり言えば、妻子ある商人の男と強く愛しあった遊郭の女とが心中を遂げるまでが描かれている。だが、作品はその筋を単に忠実になぞったのではない。追い詰められていく男と女の姿だけでなく、彼らを追い詰める、あたかも「運命」を表すような存在として黒子がずっと画面上には現れるのである。黒子というのは、もちろん人形浄瑠璃で、補助的に人形を操る役割を担う存在である。実際の浄瑠璃の上演の時には、舞台上に居ても気にならなくなるのだが、この映画では堂々と画面上に現れ、男と女を心中へと導いていく。彼らの行いは無慈悲であり、無情である。 一方で、その無情な運命に対して、現実の(正確に言えば、作中の)登場人物たちの放つ、情の深さはどうだろう。男を深く思い続ける妻、彼女を心配する彼女の父母、男を心配する彼の兄。身内、親族としてはある意味で当然の感情かも知れないが、その情こそが当の本人たちをがんじがらめに縛り上げていく。ここで描かれた情の深さは業の深さでもある。そしてまた、その情や業を動かしているのも、結局のところは「運命」である。 そして情や業が生み出す強い閉塞的な状況を表しているのは、壁や格子だろう。だからこそ、終わり近くに男がそれらを打ち倒し、蹴破っていくことで、それまで漠然としていた決意をはっきりとさせるのだ。 また、男の妻と遊郭の女の二役を岩下志麻が演じているが、これも当然敢えてそうしたはずだ。どちらも男を深く思っていることには全く変わりが無い存在であり、たまたま妻と愛人という別の役割を担っただけなのである。入れ替え可能な存在だからこそ、同一の役者に演じさせたのだろう。 最後に音楽。浄瑠璃の音楽ばかりでなく、ガムランやオスマン・トルコの音楽も聞こえてくる。物語の本筋が含んでいる異界の響きのように思えてくる。画面上や物語の進行から捉えられる寒々しさが更に増幅されていく。 男が「運命」に導かれ、引き摺られて、最後は女を殺し自分も首をくくるところで作品は終わるが、とにかく一瞬の隙も無いぐらいに緊張感がずっと続く。演出や美術(ラース・フォン・トリアーを思い出したが)まで含めて、全てに先鋭的な表現が溢れており、本当に圧倒的な作品だと思う。
by mwaka71
| 2008-04-27 21:43
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