最近のニュースを見ていると、うんざりさせられることが多い。
いちばん苛立ちを覚えるのは、議論や対話の上ではなく、一方的に相手をただ激しく非難し合うような状況だ。
抗議活動や否定的な意見に対する反対はあっても良い。或いはそれが起こるのも無理はない。それこそ自由である。ただし、抗議はあくまでも威嚇的、暴力的であってはいけないだろう。そういう考え方が世の中に存在することを知らしめることが、まずは目的であるべきはずだ。また、その抗議の対象に置かれる側も、それを真摯に、かつ冷静に受け止めるべきだろう。問題の無い社会や組織など有り得ないからだ。自称で、自分たちが最高であることを声高に主張する社会や組織ほど危ういものは無い。批判されるには訳がある。その訳を知りたいとは思わないのか。
社会や組織を本当によりよくしようという気があるのなら、批判や抗議はまず受け止めておこう。それが根拠のある主張であるかどうかを判断し、思考するだけの時間は必要だ。その自問自答や自己批判への意識をどれだけ強く持てるか。その上で、批判や抗議をした相手の存在を尊重しつつ、素直な議論、対話をするべきだ。
子供の喧嘩よりも見苦しい真似だけは止めてほしい。直接、問題に関わっていなくてもひどく気恥ずかしいものを僕は感じてしまうからだ。