感想と言えば感想。
脱線と言えば脱線だし、読み違えと言えなくもないことを断片的に。
教養について考えると、結局のところ、自分の立っている場所を自分自身が崩していくような感覚に陥る。それを嫌という程見せつけられる内容。
知が権威と結び付く時、あるいは社会的な階級と結び付く時、また功利と結び付く時、更にはファッション(流行)と看做される時、教養は大衆化すると同時に、それが最初に現れた時の衝撃を次第に失っていく。
「教養のある人間」が常に人格者ではないことはもちろんだし、「衣食足りて礼節を知る」の「礼節」の部分が教養という訳でもないだろう。そもそも衣食が足りずとも礼節を知っている人は多いのだし。
実学を通して社会を知ることは出来るが、それを極めたところで見えるものは社会の一部分でしかないはずだ。それを理解した先に教養があるように思える。
教養とは、情報を自分なりに体系化する能力のことではないだろうか。ただし、自ら新発見をする必要までは求められない。学者ではないから。
知る、ということについて、それ以上の意味を期待しないこと。