一冊がひとつのテーマで貫かれている訳でもなく、ひと続きの連載をまとめたものでもない。連載したものもいくつかはあるが、基本的には単発の紀行文やエッセイが集められた一冊だと思った方が良い。
だから読む方の視点も一冊の中であちらこちらと飛ぶことになる。もちろん著者の幅広さを味わうのがまずは本筋だが、そういう場合は読み手の幅自体が試されることにもなる。もちろん大概は紀行文だから、ひとつひとつをコンパクトに楽しめば良いのだが、コンパクトな分だけ、その息の短さが物足りなくなってしまうこともなきにしもあらず。
とは言え、この本で最も興味深かったのは「車窓の四季」としてまとめられた部分だ。結論から言えば、列車の旅は四季を通じて楽しめるということにしかならないのけれど、そこに強引さがあるとは僕は全く思わない。僕自身がまた旅することが好きなせいである。と言ってもそんな豪勢な旅なんかではない。鈍行列車に乗るだけでも、普段そんなに行かない場所なら嬉しいし、特急に乗れば乗ったなりの楽しみを見つける、その程度だ。
さて、宮脇は書く。「私は梅雨時の旅が好きである」、何故なら「日本の風景における水蒸気の役割の大きさを思い知らされる」からで、従って「それが最高になるのは梅雨の季節」ということになるのだ。
激しく同意、である。彼も書いているとおり、靄や霞あるいは霧に覆われた景色が示す淡い色調は本当に美しいし、陰翳に富んだ美がそこに見られると思う。大分に居れば、そんな光景は雨さえ降れば何処でも見られるが、僕の実感はソニックに乗って杵築から宇佐に抜けるまでの間の景色として強くイメージされる。
この梅雨の旅の話題は、この本の中でも何度か出てくるから、彼は心からその美を愛していたのだろう。
宮脇俊三の本を読むと旅に出たくなるが(本当はそれでなくても、だが)、とりあえず解説(酒井順子)に登場した八高線にでも乗りに行こうか。