久々の内田百閒。彼が、友人芥川龍之介について書いたものをもろもろ集めてまとめた一冊である。編纂者は百閒の<阿房列車>のシリーズに登場する「ヒマラヤ山系」こと平山三郎。
ずっと読んでいると、ひとつのエピソードが別の文章の中にも度々現れていることに気付く。もちろん、そのエピソードが百閒にとってかけがえのない想い出だからだろう。懐かしむと同時に、可笑しみをもって記憶に留まっているというべきか。芥川が海軍機関学校の英語教官だった時、同僚の黒須康之介と広島の江田島に出張を命じられて、のんびりと奈良に立ち寄って一泊して…という話(今の時代なら公務員失格と言われるだろうが)だとか、下宿を訪れた百閒に「今から自分の婚礼だから」といきなり告げる話だとかは、百閒が繰り返し語っているエピソードである。
自殺する直前の芥川の様子も書いているが、基本的には「切れ者の芥川の日常」が扱われている。全く書かなかったことはないのだろうが、少なくともここに集められた文章では、百閒は芥川の作品そのものについて語ってはいない。それは芥川の作品を認めなかったからではなくて、その逆だろう。生前から一般に高い評価を得ていた芥川の作品について、百閒は自分が改めて言わなくても、と考えていたのではないだろうか。
一方の芥川は百閒に対し、よく「君は恐いよ」と言っていたという。晩年ではなくて、壮年期の百閒の写真を見ると、確かに怖い。俳優の中村賀津雄が相当にすごみをきかせたような風貌だ。もっとも、芥川が言っていたのは風貌というよりも人となりであり、作品から受ける印象だったろう。百閒の<冥途>が未だ評価を受ける以前に、芥川はそれを激賞する一文を書いている。二人の師である漱石とも、当時の流行とも、また芥川自身とも違う個性をそこに見たからだろう。
全然質が違うのかもしれないが、僕はショスタコーヴィチとブリテンの互いの作品に対して抱いていた共感と、百閒と芥川のそれが似ているような気がする。それは単なる友人付き合い以上の関係だ。そういう相手と出会えることは幸せだと思う。