伝統的なクラシック音楽作品を鑑賞するということは、その作品を外側から眺めるということだ。その意味で言えば、演奏家はたいがい作品の内側に居るということになる(とは言え、その状態に置かれているからと言って、演奏家がいつもその作品を把握しきれているとは言えないだろう)。
一方でケージの<4分33秒>を考えると、一応は演奏者が設定されては居るけれど、実際のところ、その場に居る者あるいは物の全てがこの作品の素材になるのだ。聴衆と演奏家との区別はほぼ無くなる。客席と舞台の区別も無用である。少なくとも、この時、この<4分33秒>を体験しようとしている人の存在する範囲は、全て作品の内側に取り込まれる。
僕には、これは宇宙の果てを考えるのと同じようなイメージで感じられる。