シューマンのピアノ曲は知っていても、そのタイトルの元ネタにあたるホフマンの方は今回が初めてだったりする。
読む前は、楽長クライスラーを主人公とした小説なのだろうと思っていたら、全く違っていた。これは小説として完結した作品ではなく、音楽に関するエッセイや評論の間に幻想的な短編小説が混在する、非常に不思議な作品だ。ベートーヴェン(前に書いた第5交響曲に関するものがほとんどそのまま含まれていたりする)をはじめ、バッハやモーツァルトなどを賞賛する内容あり、オペラ劇場での舞台スタッフに望むことが書かれていたり、というホフマン自身の経験や考えがそのまま反映された内容や、狂気の音楽家クライスラーの姿を描いた部分は、ひとまず理解できる。だが、その一方で、クライスラー宛の手紙文があったり、何故か人間文化に慣れ親しんだ猿が書いたという設定の手紙文も現れる。そこにはホフマンの音楽や芸術に対する考えも述べられてはいるが、同時に幻想を通り越してほとんど妄想じゃないかというぐらいに、読んでいて?が頭をよぎる部分も結構ある。
とは言え、例えば
「芸術家は、私たちの心を動かし、激しく揺さぶるためには、自らの胸の奥深くに沈潜していなくてはならないのである。陶酔の最中に無意識に自分の心の中で感じとったものを、陶酔に優る力でもって音の象形文字(音符)の中にしっかりとつなぎとめること、それが効果のある曲を作る技術なのだ。」
とか
「本当に内面から力強く出てくる音楽のみが、再び聴き手の心の中に入り込むのだ、なぜなら、精神が理解するのは精神の言葉だけであるからである。」
という考え方は非常にまっとうなものだと思う。
シューマンが<クライスレリアーナ>としてまとめあげた音楽は、こうしたホフマンの言葉への賛意を示したものであり、またそれは生じた豊かな想像や幻想を五線譜上に脈絡あるものとして書きつけたものではなかったのだろうか。