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時々ふうっとあることについてとりとめも無く考え始めることがある。自分の集中力の無さの裏返しのような気もするが(笑)。
風呂に入っていて、何故か急にケージの<4分33秒>のことが気になった。言うまでもなく、4分33秒間、演奏者は(楽器を使っては)一音も発しないという有名な「音楽作品」である。しばしばケージが東洋的な思想、禅の思想に影響を受けたもの、と紹介される。僕は随分以前に鈴木大拙の本を読んでみたことはあるが、内容は覚えていない(笑)。 さて、今晩考えたのは、そもそも東洋的というか日本の伝統的な時間の観念からすると、<4分33秒>はまだまだ西洋そのものの考え方ではないのか、ということだった。「分」とか「秒」という単位自体が本来西洋的な時間の捉え方の究極であり(多分、哲学的にはまた違うのかもしれないが)、それはかつての日本のあり方とは異なる。 日本は(限定しておく)明治になるまで一般的には不定時法の国だった(古代は定時法だったらしいが、もちろん西洋のそれとは違っていた)。簡単に言えば、日の出・日の入りを基礎とし、しかも時間を均等に区切るという訳ではなかった、ということだ。となると、昔の日本人にとっては時間は伸縮するものであって、一定の速さで流れるものではなかったということでもあろう。まして、1分や1秒の正確さを日常の中に求めもしなかったはずだ。 精密な時計を持ち、定時法で生活していた西洋で、音楽ではまた別の時間観念が成立する。拍子や小節線の使用である。少なくともクラシック音楽では、20世紀になるまでは、「分」や「秒」という時間単位と平行して存在する、音楽の中だけで成立した時間観念だったと思う。 そういう歴史的背景を持った「西洋の作曲家」ケージが、「東洋の影響を受けて」<4分33秒>を作った、というのは無条件に受け入れられるだろうか。もちろん、それは単純にオリエンタリズムとして片付けられない程の意味のある考え方だったとは思うが。 また、<4分33秒>という限定し、閉じられた時間でしか成立し得ない「作品」というもの自体が西洋的な感じがしてしまう。刹那あるいは永劫という、不定の開かれた時間ならどれだけでも、という姿勢の方がより東洋的なのではないだろうか。 更に、それをわざわざ一個の「作品」として、また完結した形態としたこともどうか。思想や概念として放置してしまうことも可能だったと思う。もっとも、これは<4分33秒>を「作品」と見なす側の責任でもある。 後に生きている人間としては、もちろん何とでも、無責任にものが言えるから、ケージには申し訳ないけど(笑)。 というとりとめの無い話題。
by mwaka71
| 2007-02-02 02:19
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