前に似た話を書いたような気もしない訳ではないが。
動作について。
パソコンをはじめとするさまざまな機械の発達は、人の生活の効率化を進めてきた。時間の効率、経済の効率、精神的な負担の効率などがそこには含まれるのだろうが、もちろん一概に全ての効率が良くなった訳でないことは確かだ。機械の扱い方に関してのストレスが溜まるのも一面の事実だし。
さて、そうして達成された効率化は、人の身体から動作を奪っていくことにも繋がる。
文章を書く。かつては筆(ペンでも鉛筆でも何でも良い)と紙を準備して、筆を手に持ち、考えを文字として紙に記していた。今もこの動作は完全には滅んではいないが、ワープロやパソコンの急速な進化により、それは、スウィッチを入れ、ソフトを立ち上げ、文字に対応するキーを叩くことで成立するようになった。
洗濯機、電子レンジ、テレビ、カメラ、携帯電話などにしても、ボタンやキーの操作が、その機能を働かせるための動作のほとんどと言って良いだろう。
つまりさまざまな動作が、指でボタンやキーを押すという、ただ一種類の動作に集約される。誰がボタンを押しても、同じ条件なら同じ結果が生まれる。これは否定的にのみ捉えるべきではないだろう。とは言え、手や指の動作から生み出される結果もまた、その人の個性を表すものであることを思うと、考えさせられる。
とりあえず。