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プロコフィエフの曲をどれか1曲と言われたら、僕なら交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)かヴァイオリン・ソナタ第1番、あるいは交響曲第6番のどれかを選ぶだろう。正直言って、この3曲はどれも重い作品だ。そして何か冷え冷えとした恐ろしさが、聴き手の眼前に放り出されている。
プロコフィエフはそもそも器用な作曲家だった。<古典交響曲>や交響曲第5番、ピアノ協奏曲第3番、<ロメオとジュリエット>、<キージェ中尉>などを見れば分かる。そこに<ピーターと狼>も入れて良いかもしれない。軽妙さとダイナミズムとが、いいバランスで含まれており、音楽全体の流れが分かりやすいのだ。もちろん初期、例えば交響曲第2番や第3番、<スキタイ組曲>などのようなトゲトゲしい響きを全面に押し出した作品もあるが、それらが聴き手に与える衝撃は慣れをも生みやすいものだと思う。 しかし、最初に挙げた3曲と上述した曲との間には大きな溝がある。そこに第2次世界大戦と、プロコフィエフ自身の健康の衰えという2つの影を見ても良いはずだ。もちろん、それらによって彼の人生観が突然極端に変化したのかどうなのかは分からない。だが、最初に挙げた3曲について言えるのは、楽観的な雰囲気よりも圧倒的に苦い空気に満たされているということだ。 交響曲第6番の3つの楽章は、どれもが異様だ。 第1楽章の冒頭、ぶっきらぼうに金管が音を並べた後、直ぐに物悲しい旋律が現れる。しばらく後にも、この旋律に関係した別の旋律がオーボエで出る。静的な背景の中で奏されるこのオーボエの旋律は、寒々しい。楽章の中ほどに差しかかると、それまでのゆったりとしたテンポからアレグロに変わる。狂暴な力を持った音楽の流れの中で、冒頭の旋律が切れ切れに姿を見せる。叫び声のような金管の音。それらがふと勢いを失い、また重苦しい気配に覆われる。この楽章の救いの無さは凄まじい。 静かに閉じられる第1楽章に続く第2楽章もまた衝撃的に始まる。ティンパニと大太鼓の重い響きを伴う低音楽器の音の上に、木管の変ホ音と変二音によるきしんだ響きがかぶさる。この後には叙情的な部分も続くが、基本的に悲愴である。そして最後にまた楽章冒頭の部分が帰ってくる。 ところが最終楽章である第3楽章は、それまでと打って変わって軽快である。まるで前の2つの楽章のことを忘れたか、あるいはそれらへの反動のようでさえある。だがこの明るさが意図的なものであることが分かる。軽やかな音楽がすっと引いていくと、そこに第1楽章のあのオーボエの旋律が再び現れるのだ。これはベートーヴェンの<運命>やブルックナーの交響曲のコーダのような主題回帰とは意味合いが違う。輝かしく全曲を閉じるための回帰ではないのだ。むしろ、第3楽章前半の楽天的なムード自体の強烈な否定と考えた方が良いだろう。何故なら、このゆったりとした回帰の部分から、また音楽は動きを起こすが、そこには明快さは微塵も無く、混濁した雰囲気のまま半ば強引に全曲が閉じられるからだ。 僕が最初に入手した交響曲第6番の録音がムラヴィンスキーの演奏だったということも、こうした印象を抱くことになった大きな要因なのかもしれない。
by mwaka71
| 2006-11-16 01:59
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