エリック・サティ。
今となっては、かつて何であんなにも猫も杓子も<ジムノペディ第1番>が流行ったのかがよく分からない。多分1980年代だったはずだ。当時は、最近と違って「いやし」などという言葉も使われていなかった。一方で、環境音楽という発想が一般的に認知されたのもその頃じゃなかったのかな。
あの頃は、やたらにクラシックのピアニストがサティを取り上げ、レコードを作ったけれど、それは所詮、流行り廃りの中でのことだった。世の中が変われば、それはピアソラ(<リベルタンゴ>ね)になってみたり、リスト(<ラ・カンパネルラ>ね)になってみたりする。スペシャリストでmない音楽家が、さも前からやっていましたという感じでしゃーしゃーと演奏する。
とは言え、サティの音楽は面白いし、意味深いものであることに違いない。彼の音楽は例えばバッハやベートーヴェンなどのラインの上にあるものではない。むしろフランスのバロック期のラモーあたりを、より近代化し皮肉っぽくしたものだと思う。そこに、先述の環境音楽やら「家具の音楽」やらの思想を入れて、かつ堂々とキャバレーや盛り場の空気に曝したもの、それがサティだろう。
タイトルが変。大マジメに取るのではなく、例えばドビュッシーのような、妙に詩的なものを大いに茶化したものと取ってもいいだろう。
<(いつも片眼をあけて眠る見事に肥った)猿の王様を目覚めさせるためのファンファーレ>という2本のトランペットのための、わずか1分程の曲がある。タイトルは最高に変だ(笑)。しかし、タイトルにとらわれず聴いてみよう。エキゾチックともアルカイックとも取れるような、そして美しい音楽だ。「目覚めさせる」 にしては、決してやかましい音楽ではないし。
サティの音楽のある面には、感情を排除し、純粋に「音の流れの美」を味わうべき部分がある、僕はそう思う。