虚しい気分が全開なので<方丈記>を読んだ。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、である。
鴨長明の無常感が生まれたきっかけには、早くに両親を亡くしたことや、思うような出世(彼は下賀茂神社の禰宜の家に生まれた)ができなかったことなどがあるらしい。一方で、彼は和歌や管弦などに秀でておりそちらの才能はちゃんと評価されていたようだ。
才能があっても世俗的成功には結びつかない。それは現代以上に当然のことだっただろう。歯がゆい思いを抱き続けながら歳をとっていくことは、多分そうでない人の何倍も精神的な年齢を積み重ねることになるはずだ。
そういう自身のことばかりでなく、彼は社会の動きにも反応せずにはいられない。彼は戦乱や自然災害や飢饉で死んでいった者、あるいは苦しむ者を数多く目の当たりにした。原因を追及し責めるのではなく、犠牲者を哀れむ気持ちが強い。たまたま彼自身がそうはならなかっただけなのだから。
俗世を離れ隠遁生活は気楽でいい、と言いながらも、世をすねたという自覚もある。彼の悩み方は精神的な高みに達するようなものだとは言い難いけれど、だからこそ僕は大いに共感できる。人の世とはそんなものさ。