楽しみにしていた展覧会である。
大分にいるとどうしても高山辰雄とか田能村竹田とかの作品に出会う機会が多くなってしまう。それはそれでいいのだけれど、僕は福田平八郎や宇治山哲平とかの方が好きだし、観たいと思っている人間だ。
木版画からスタート。人物や日田の風景などが並ぶ。イイ感じではあるが、まだ僕らが知っている「宇治山哲平」ではないな。素描が並ぶ。<岩礁>というタイトルのものが目に留まる。ほとんど抽象だ。
そして2部屋目、これぞ「宇治山ワールド」。
鮮やかに彩られた○、△、□。楽しいじゃないか。マレーヴィチのような、これ以上先に行けないぐらいに追い詰められた絵とは全く違う。むしろ、無限の広がりが宇治山の作品にはある。宇治山の抽象は大地や宇宙などの自然、あるいはエジプトやペルシャなど歴史的な場所と向き合い、それらを単純化し、更に再構成したことで生まれたものだと思う。モンドリアンが樹を溶解させていくことで抽象に達したのとは少し異なり、宇治山の場合は具体的な対象物というより、その雰囲気の単純化で抽象に至ったように思える。
単純な「かたち」は素数である。それ以上は整数で割り切れない元素のようなものだ。だからこそ単純な「かたち」には強さがある。その強さをより高めているのが、はっきりとした色遣いにある。宇治山の作品が「デザイン」と異なるのは、この強さがあるからだ。
楽しい抽象は素敵である。