先週、太宰の<晩年>について書いた。あの時は<道化の華>あたりまで、新潮文庫で言えばほぼ半分くらいのところまでの感想を書いた。それから先の分をざっと読んで、一応<晩年>を通読したことになる。
どうして、こうも自分のだらしなさについてマジメに書けるのだろうと思う。それが罪深いことだという自覚は強烈に持っている。だがまたそれがどうしようもないものだということもよく分かっているのだ。
3つの掌編からなる<ロマネスク>という短編があった。江戸時代を装った奇抜な物語が3つ。<仙術太郎><喧嘩次郎兵衛><嘘の三郎>という3つ。読めばすぐに分かる。このどれもが太宰自身のことだ。とにかく相当なコンプレックスを持っている。外見上のことだけでなく、その生き方、姿勢についても、である。太宰は正当化はしないし、共感を求めもしない。彼はその有り様を描くだけだ。自分自身を徹底的にいたぶり、徹底的にさらし者にするのだ。これは相当な覚悟がないと出来はしない。太宰は生きながらにして地獄を見たのだろうか。