ラース・フォン・トリアー監督作品。
と言えば、僕はまずは<ダンサー・イン・ザ・ダーク>。まあ、あの作品の場合ビョークの存在がほとんどだったのだが、それを計算づくで制作したトリアーの苛烈さが怖かった。
そして<ドッグヴィル>。まるで舞台上演のように最低限の装置だけを置いたその空間の異様さに驚き、それ以上に展開に大きな衝撃を受けたものだ。
まさかそれに続編が現れるとは思っていなかった。
多分また寒々しい作品なのだろうとは思った。でも観た。<マンダレイ>である。
ドッグヴィルの村を地図から消したグレースとギャングの親分である父親たちが農園、マンダレイに立ち寄る。そこは黒人差別が未だに存在する農園だった。義憤にかられたグレースは父親の武力で強引に黒人たちを「解放」する。
全く「自由」の意義を解さないことで彼らの生活が壊れることを恐れたグレースは、マンダレイに留まることにする。グレースと住人たちは、何とか困難を乗越えてマンダレイに収穫の季節がやってくるが…。
まず、グレースの、白人としての歴史的責任の感じ方と責任のとり方の「青さ」は何だろうか。戦後日本の歴史に対する自分の捉え方にダブるものを僕は感じた。確かに、歴史的な「罪」を無視は出来ない。しかし、自分がその責任を全て負うかのように振る舞うことは、相手によっては押し付けがましくとられるのだ。
また、ひとつの「社会」を破壊することは、その社会が存在することで保たれていた秩序を否定することであり、そのために価値基準が揺さぶられたり、生活様式の変化を余儀なくされることで、却って「新しい社会」の存続を脅かすものになる、ということでもある。 この5年ばかりの間、アメリカがアフガニスタンやイラクに対して行ってきたことは、まさにこれではなかったか。この2つの国の状況が決して良いものでなかったことは僕らもよく知っている。だが、それ故に一方的に外部の人間がこれらの国家を転覆させることが良かった、とは言えないのだ。
結局のところ、グレースはまたしても自分が関わった「社会」に絶望し、去って行く。救いは、ない。グレースが次に行き着く先は?
絶望的な状況ばかりを見せつけられるが、否定はできない。しかし、そんな状況でも人間は生きていかなければならないのだ。