休日。思い立って清水寺に行く。
久しぶりに清水坂を登る。夕方近い時間だがまだまだ観光客が多い。
山門をくぐり拝観料を払って進む。清水の舞台である。絶景ポイントだからそこここで記念撮影をしている。修学旅行生も居れば、中国語を話す人、朝鮮語を話す人、多分ドイツ語を話している人などさまざまに入り乱れている。
ここから京都の街を眺めるのは気分がいい。今日は霞んでいたが、それはそれでまたいい。
舞台を離れて、少し奥に進む。振り返ると舞台がよく見える。あんな斜面上にあんな建築物を造った根性?には毎度のことながら恐れ入る。だからこそ宗教的な有り難みも、観光地としての魅力も生まれたのだろうな。
そう思っていると別の考えがふっとやってきた。さっきの日本以外の人々の姿を見ていたからだろうか。
それは、文化を破壊されることはその国の歴史を否定されることに等しい、ということだった。第2次世界大戦末期に、アメリカ軍は戦後のことも考えて京都を爆撃しなかったのだという。ある意味で正しい判断だったと思う。文化や伝統に誇りを強く持てば持つほど、それを失ったときの虚脱感は大きいし、もしそれが破壊されたのなら破壊した相手を憎むだろう。またその憎しみは後の世代にも受け継がれていくだろう。
そう考えると、朝鮮半島をはじめアジア各地で20世紀に日本がしたことは何だったのか。自虐だとか言ってられないことだ。逆の立場を考えよう。自分たちの言語や名前を奪われた時、どう思う?
つらつら考えると、戦後、日本の文化を破壊しているのは日本人自身なのではないかということに行き当たる。もっともそういう行為自体が日本の文化なのかも知れない。こう考えるとますます自分たちの居場所が分からなくなる。