今年は生誕250年ということでモーツァルト・イヤーとなっているらしい。いや、「らしい」も何もそれは事実だから別に構わない。僕が言いたいのは、あまりお祭り的な気分でモーツァルトと接したくないということだけだ。
モーツァルトの数々ある作品の中でいちばん最初に親しんだのは交響曲のジャンルのものだ。まずは最後の3つ(第39番〜第41番)。ただ、その次に来たのは38番「プラハ」や「ハフナー」「リンツ」ではなくて、第25番ト短調だった。
これは映画<アマデウス>の冒頭に劇的に流れる音楽としても有名だ。<アマデウス>の中でモーツァルトの音楽がふんだんに使われているが、僕が初めて映画館でこの作品を観た時に強く印象に残ったのは<レクイエム>とこの交響曲だった。
序奏も無く、音楽はいきなり強烈なシンコペーションで突っ走り始める。何度聴いても衝撃的な出だしである。音量や音色、旋律ではなく、とにかくリズム。しかもそれは決して凝ったリズムではない。「タタータータータ」というものが4回繰り返される。それだけのことだ。しかしこの4回の中で次のフレーズに跳躍するだけのエネルギーを予感させる。そして旋律線は下から上へと噴き上げ、上でパッと弾ける。冒頭のたった12小節でこの楽章のドラマの大きさが理解できるはずだ。
展開部は短い。しかしいくらかの変化はあるものの、音楽の基本的な勢いは弱まらない。そしてそのまま再現部に突入する。「疾風怒濤」のという表現がそのままあてはまる音楽である。
第2楽章でいちど穏やかさを見せるが、第3楽章のメヌエットは重々しく、終楽章では再び第1楽章に通じる劇的な音楽が繰り広げられる。
この交響曲第25番は、ロマン派や近代の交響曲とは比べ物にならないくらいにオーケストラ編成は小さいが、音楽の器の大きさ自体は新しいものと肩を並べられるような存在だと思う。