デパートでの美術展は有り難い。公立の美術館ならとっくに閉まっているような18時や19時からでも入場できるからだ。もちろん、展覧会の質とは別の話だが。
ジャン・コクトーはマルチ・タレントだ。僕はまだ彼の多才さのごくごく一部しか知らないけれど、やはり巨人だと思う。若いコクトーを大いに刺激した存在は、かのディアギレフだった。ディアギレフは自らが創作に関わることは無かったが、プロデューサーとして芸術の歴史に残る作品を誕生させるお膳立てを整えた。コクトーの場合、自身が創作者として作品を生み出し、あるいはジャンルの異なる芸術家たちのリーダーとして存在した。
「ジャン・コクトー展」(大丸/神戸元町店)は画家としての彼を紹介するものだった。一応下書きはしていても、その線は軽い。イラスト的でもあるが、むしろポップと言えるかも知れない。今回ざっと観た中で古代ギリシャにテーマを求めた作品がかなりあった。もちろん映画や戯曲などでもコクトーは古代ギリシャ、ギリシャ神話の世界を取り上げているのだから不思議なことは無い。コクトーにとってこの世界は理想だったはずだ。詩や音楽が人生そのものであり、それらは普遍性をも獲得しているからだ。コクトーは古代ギリシャに連続的で動的な芸術のあり方を見ていたのだと思う。
「デ・キリコ展」(大丸/梅田店)。キリコの絵を見ると強い日差しと乾いた空気を感じる。それは僕にとっては未体験のギリシャである。古代のギリシャの都市の街並、広場、その真ん中に彫像。キリコは風景を過去を引きずる現代的な景色とし、彫像をマネキンに置き換える。古代の彫像は理想の美を全面に押し出した、人のかたちをしている。キリコは人のかたちを具体的に示すものとしての顔、胴体、腕、足を与えない。かろうじてがマネキンである。古代、ギリシャでは美は永遠不滅のものだったに違いない。キリコは理想も美も描かない。ただ静止し続ける世界の有り様を描く。