<展覧会の絵>を聴く。
ラヴェル版ではない。もとよりストコフスキー版でもない。つまりオケ版ではない。ムソルグスキー本人が手がけたピアノのための<展覧会の絵>である。僕はこっちの方が好きだ。テカテカに輝くオケ版を年に何度かは聴きたくなることが無い訳ではないが、画家だった友人を追悼するというムソルグスキー本人の意図だけでなく、ひとつひとつの曲の深みはピアノ版の方が出ているような気がする。まあこれはあくまでも印象論だが。
最近2種類の<展覧会の絵>のCDを聴いた。
ひとつはヴァレリー・アファナシエフの演奏。
とにかく遅い。全曲で40分はかかっている。そして深みなんてものを通り越して、透明度限りなくゼロのどす黒い音楽。
それに対してウラディミール・ホロヴィッツの演奏。
派手だ。と書くと僕の好みでないように思われそうだが、これもまたアリである。オケ版をもう一度ピアノに置き換えたような面白さ。楽譜にないことをところどころでやっていく。それがまたピタリピタリとハマる。まさにヴィルトゥオーゾ=名人の音楽。演奏時間は30分弱。
この両極端さは、しかし共に本質に触れた演奏だと思う。<展覧会の絵>という曲自体の奥深さが一目瞭然の2つの演奏。