ときどきクラシック音楽の中でも、スカンとヌケた感じの作品、あるいは演奏を聴きたくなることがある。今日はそんな日だった。
リムスキー=コルサコフの序曲<ロシアの復活祭>を聴く。
はっきり言って二流の作品だと思う。百歩譲っても一・五流だな。しかし楽しみはちゃんとある。僕の言い方には矛盾があるかもしれないが、たとえ二流であっても面白い曲は面白いのだ。ただ、こんな曲を例えば<マタイ受難曲>やモーツァルトのピアノ協奏曲とかと同列には置きたくない、というだけの話だ。じゃあ「お楽しみ」の曲は全て二流かと言うと、そう言う訳でもない。バーンスタインの<ウエストサイド>のシンフォニック・ダンスなんかは「お楽しみ」の音楽ではないだろうか(因みにミュージカル全曲は非常に真摯なものだと思うが)。でもこっちは一流の作品だ。
まあ、そんなことは所詮個人の価値観の問題だと言えばそれまでではあるが。
さて、リムスキーに戻る。
演奏はシャルル・ミュンシュ/フランス国立放送管だ。ミュンシュとしては珍しいレパートリーかもしれない。しかしこの演奏はスゴいぞ。攻めて攻めて攻めまくる。ラヴェルやオネゲル、マルティヌーで、そしてベートーヴェンの<第9>でさえ、怒濤の演奏を聴かせてくれるミュンシュが、こんなロシアものでも同じノリだ。 本当はもっともっと泥臭い曲のはずなのだが、ミュンシュが振るとロシアではなくラテンの祭りに変化する。
こういう曲だからと言って何をやっても良いとは決して思わないけれど、この組み合わせはアリだ。いわゆる「お国もの」でなくても名演は成立するという好例である。