赤瀬川原平が亡くなったとのこと。
ニュースで知って思わず「えっ」と声を上げた。それぐらいの驚きだった。もちろん、彼がそれぐらいの年齢であることは分かってはいたのだけれど、やはり、なのである。
記憶違いで無ければ、僕は生前に彼を大分で見たことがあるはず。多分、大分市美術館の関係で開催されたネオダダ関係のイヴェントのゲストか何か。大分に住んでいた時はネオダダ関係者はまだご存命の人が多かったから、関連イヴェントにはそういう人たちが出てきたのではないかと。少なくとも風倉匠のパフォーマンス(ハプニングと言うべきか)を観たのは間違いない。磯崎新はまあ水戸の絡みもあったし。吉村益信も何処かで目撃したんじゃなかったかなあ。
でもやっぱり赤瀬川原平は僕にとってはずっと別格だった。その昔、彼の梱包関係の作品がニューヨークで演奏されたことを知ったので、彼に自作自演してもらう企画が出来ないかなあ、と思ったこともある。演奏、と書いたけれど、これは間違いではない。まあ、楽譜的なものは指示書のようなものだったと思う。もちろん、そのアイデアは企画書にもならずに終わったのだが。
<新解さんの謎>や<老人力>、あるいは<日本美術応援団>のような書籍は好きだが、それ以前に何よりも「トマソン」である。それこそ昨日観てきたみうらじゅんといとうせいこうがやっている<ザ・スライドショー>の原型は赤瀬川の「超芸術トマソン」だと僕は思っている。
最近は結果、書籍のヒットが目立っていたけれど、僕はやっぱり彼は最後まで芸術家だったと思う。目に見える造形物を作らなければ芸術家ではない、ということはない。デュシャンを思い出せば分かることだが、目に見えるもの相手でも目に見えないもの相手でも、とにかくそれらに新たな概念や捉え方、価値観を提示すること自体が既に「芸術」であるはず。その意味で、赤瀬川原平の長い活動は最初から最後まで芸術家のそれだった。
風倉匠の訃報を知った時にも同じことを書いたはずだが、大分という街はもう彼らのような独創的な芸術家を育むだけの何かはもう無いのかな、と思うと、それもまた改めて残念なことである。