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ドナルド・キーンの<私の大事な場所>という本を読みかかっている。その中に「ポーランドにリラが咲く頃」という章があった。1980年代に入った頃に彼がポーランドを訪れた際の見聞を元に書かれたもののようだ。そこに次のような文章があった。
「…国を問わず、体制に反対することは学生の役目ではないかと私はあらためて思った。」 これは当時のポーランドでソ連の影響下にあった政府に対しての民主化を要求する運動が大きな広がりを見せ始めた頃の話である。僕も子供心に「連帯」とか「ワレサ議長」といった言葉をテレビのニュースで見聞きした記憶がある。キーンはそういうポーランドの状況を目の当たりにしていた。結局、ポーランドでは確か他の東欧諸国よりも少し早く民主化運動がかたちにはなったとは言え、1989年にベルリンの壁が崩壊し東西冷戦が(一旦)終結し、ということになるまではずっと政府側と反体制側との対峙、対決が続いていたのではなかったろうか。 ただただ反対することだけを目的にするのはどうかと思うけれど、体制側や権力を行使する側を監視し、場合によっては疑問を投げかけ、あるいは反対の考えを示すのは僕たち有権者の役割である。もちろん、僕たちの代表であり代理人として議員は存在しているはずなのだが、彼らが十分に機能していないことが分かれば、その役割は僕たちが改めて果たさなければならない。その意味でキーンが「学生の役目」と言っているのは、社会に既に組み込まれた大人(社会人)よりもまだ思考や行動についての自由を学生が持っているから、ということなのだろうと思う。また次の時代を担うべき自分たちが社会に出ていくにあたってのスタートラインの設定を、大人たちが誤ったものに(不利なものに)しないように、という視点も含まれているのだろう。最近までずっと続いてきた香港での出来事についても通じる話だと僕は思う。 それからキーンのポーランド話の続きで高見順の日記が引用されている。 「昨日の新聞が発禁になったが、マッカーサー司令部がその発禁に対して解除命令を出した。そうして新聞並びに言論の自由に対する新措置の指令を下した。 これでもう何でも自由に書けるのである! これでももう何でも自由に出版できるのである。 生まれて初めての自由!」 この高見順の日記は1945年(昭和20年)9月に書かれたものだそうだ。少し無邪気過ぎるようにも思うし、実際この引用の後でキーンは「高見順はその後様々の挫折を味わい、完全な自由は世の中に存在しないことを知った」と続けている。これはそのとおりだろうと思うけれど、キーンは1980年代のポーランドで学生が「自由」について語ったことと、この高見順が書いた「自由」とを合わせて眺めているのである。たとえいくらかの制約があるにせよ、「自由」であることの意味を今の僕たちはどう理解しているのだろうか。 国の名前に「民主主義」という言葉が入っていても実際には全くその逆である某国の存在を僕たちは知っているけれど、投票という形で民意を示さないことによって、同時に民主主義の意義や本質を理解していないことを表してしまっている国民が多く存在している僕たちの社会も、実は「名ばかり民主主義国家」なのではないかと思う今日このごろ。
by mwaka71
| 2014-12-16 01:54
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