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僕がかつて1年間だけ住んだ街のことがニュースになっていた。内容としては実にバカバカしいもので、そこの行政の長がその職責を果たす上で、いかに自分の置かれた立場に対する理解の無い人物か、ということだけを自ら全国に発信したようなものだった。
公平、という言葉がそのニュースの肝なのだろうとは思った。客観性という単語に置き換えても良いのかも知れないが、確かにこの言葉の厳格な定義や使い方は難しい。とは言え、僕なりに単純に割り切ってしまうとすれば、自分の主観の外に在るものは全て客観であると覚悟しておいた方が良い、ということである。もちろん、自分の主観の中にも客観と重複する部分はあるはずだが、しかし大部分はその外にあると考えておいた方がとりあえずは無難であるように思う。 その意味で「公正」とか「中立」とか「不偏」とかいう状態の存在自体を、そもそも疑っておく必要があるだろう。それは自称にしてもそうだし、周囲に対しムダに積極的に求めていく方もどうかと。要はその扱われている内容について、自分で判断することである。だから、冒頭の「バカバカしい」をはじめとする表現は、僕なりの判断である。 ではその判断材料や基準についてはどう捉えるべきか。少なくとも情報の受け取り手である僕たちは、その情報の発信元を信じるか、疑うかのどちらかをしなければならない。気を付けなければならないのは、発信元がこの道の権威であるかということより、起こっている、あるいは起こったことをどこまで正確に受け手に伝えようとしているか、という姿勢である。 事件は会議室で起きている訳ではなく、現場で起きている、というのは実に当たり前のことだろう(もちろん有名映画のセリフをパクっただけなのだが)。ただ、大概の場合、ある事件や出来事に対し、僕たちは単なる情報の受け手であって、現場には居ない。現場には居ない人間が、伝えられてきたことだけでいろいろと判断しなければならない。当然情報の発信元の責任は大きい。しかし、僕たちが判断を出す経過に対して、発信元が負うべき責任が最後まで完全にある訳ではないと思う。与えられた情報をうのみにするという、受け手としての消極的な姿勢を日常にしている側の責任でもあるだろう、という意味である。 何でもかんでも無邪気に信じてはいけないし、あらゆることをひたすら疑うだけでもいけない。考えること。自分のそれまでの主観に対し、常に迎合するような内容の情報だけを喜んで受け取り、意にそぐわない情報やその発信元を頭から全否定するような態度は、考えるのとは違う。思考停止。また、発信元の権威を否定するのは構わないけれど、一方でその否定の根拠としている材料を与えてきた発信元が本当に信頼のおけるところかどうかの吟味はしているのか。今のご時世、一次的な発信元で無い立場の人々が、あたかも自分が一次的であるかのように装って、その実、伝聞やパクりを平気で行っている場合もあるようなので。他人様をゴミ呼ばわりするにしても、傍から見れば自分もゴミ漁りをしているような情報の受け取り方ではね、ということである。 情報の発信元を王様のように崇める必要は無いけれど、だからと言って、大概は情報の受け取り手でしかない僕たち一人ひとりが王様な訳でもない。自分が生きて行く上で必要な情報であったり、自分の属している社会(大きく言えば世界)が平穏であるために必要な情報を摂取するにはどうしたら良いのか、と考えることだけ。 現在進行形のことだけれど、現場を伝えようとする使命感を強く持っている人が現地で大難に遭遇しており、非常に心が痛む。結果的に彼が危険を冒すことになってしまったその状況を、遠く離れた場所、現場では無い場所に居る僕たちはどう捉えるのか。直接的に何かが出来る訳ではないのだけれど、でもまずは知ろうとすること、考えることから始めなければならない。
by mwaka71
| 2015-01-24 01:30
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