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社会が大きく、激しく変化しようとしている状況に自分が居合わせると、不安と期待の両方の感情が入り混じる。僕にとっては1980年代末から90年代初めにかけての数年がそうだった。日本ではいわゆる「55年体制」が崩壊し、東欧では共産主義政権が次々と瓦解していった。生まれて20年ちょっと眺めてきた世界が変わろうとしていた。しかし、そうした動きがいつの間にか収縮してしまう流れになっていったことには落胆もした。
1910年代から20年代にかけてのロシアも、やはりそうした時代だったのだろうと思う。帝政ロシアからロシア革命、ソヴィエトの成立という時代だ。場所や状況によっては身の危険もあっただろうが、一方で社会が変化することへの期待も大きかったはずだ。 若い芸術家たちにとってもそれは同じことだったと思う。新しい表現を受け入れてもらいたくとも、社会一般の価値観が偏狭であれば、可能性は少ない。その偏狭な価値観を打ち壊す。それが彼らにとってのロシア革命の意義だったのではないか。 イコンのような伝統的あるいは民族的な表現と、当時の西欧の先進的な表現技法(フォーヴやキュビスムなど)とが渾然一体となって生まれたのがロシア・アヴァンギャルド、という風に僕は理解している。この展覧会はそうした時代に活動した美術家たちの作品がザッと並ぶ。眺めると、確かにピカソの影響は大きいなと思う。まあ、それはロシアに限ったことではないけれど。 「シャガールからマレーヴィチまで」という副題の付いた展覧会の割に、シャガールは3点しかないからちょっと拍子抜けはしたが、展示されていた<ヴァイオリン弾き>や<家族>は土俗と幻想とキュビスムが溶け合った面白い作品だった。 しかし、僕にとっての本当の目当てはマレーヴィチだった。学生の頃に<白の上の白>に衝撃を受けたし、ロシア・アヴァンギャルドの凄さをそれで初めて知った。今回はシュプレマティズムの作品は<白い十字架のコンポジション>と<黒い十字架のコンポジション>だけだったが、やはり、である。周りの作品と比較してもそうだけれど、もう行くとこまで行ってしまった絵画作品なのである。特に<白い十字架>の方は。線や色が織り成すリズムを楽しむ作品としての絵画は終わったのだ。一応、十字架のかたちと、大きく言えば2種類の白は画面上に存在こそしているが、そこにそういったものが「描かれている」という以外に、他の説明は一切拒否しているかのようだ。この徹底的な切り捨ては、ひとつの究極美だと僕は思う。 マレーヴィチは、後にオーソドックスな具象絵画に戻っているが、それはソヴィエト政権下の芸術表現への抑圧だけが理由ではなかったのだろう。そうした政治的なものは確かに回帰を早めたかもしれないが、実際にはマレーヴィチが自分自身を追い詰めてしまうところまで表現の一本道を進み切っていたから、いずれはそうなってしまうこと自体も本人は分かっていたのではないか。いずれにせよ、この展覧会場の最後に並べられていたマレーヴィチの<自画像>と<芸術家の妻の肖像>を観ると、表現への冒険心を封印した(あるいは封印された)芸術家の悲哀をも感じてしまう。 僕はショスタコーヴィチのことを考えた。彼は今回の展覧会にあった作家たちよりも二世代ぐらい若い。もし、10年でも彼が早く生まれていたらそれこそ<マクベス夫人>や<鼻>、あるいは交響曲第4番のような刺激的な作品がもっと生まれていたかも知れない。しかし、同時にそれこそマレーヴィチのように、早くに音楽史から消えてしまっていたかも知れないとも思った。 さて、展覧会の方は、シャガール、マレーヴィチ以外の作家たちの作品も興味深いものが多かった。特にリシツキ—の<プロウン>やローザノヴァの<汽車のあるコンポジション>など。
by mwaka71
| 2008-06-28 23:19
| 今日ふと心に浮かんだ考えは。
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