始まってからしばらく経つし、平日の昼間だから芋の子を洗うような状態にはならないだろう、と思って上野の国立西洋美術館に行った。まあ、それは実際予想どおりで。
ムンクと言えばまずは<叫び>だろうが、今回の展覧会では登場せず。代わりに、と言う訳ではないのだろうが<絶望>と<不安>という作品が展示されている。この2つの作品の画面上の背景に描かれているのは<叫び>と同じ景色だ。橋の上から、遠くに湾と不気味な色をした空が見える。大きく違うのは前景である。<不安>と題された作品には、きちんとした身なりの10人前後の男女がこちらを向いた状態で描かれている。<絶望>の方は、手前にうつむいて歩いているような男が一人と、後方には向こう側に去って行く男が二人が描かれている。
<叫び>も含め、これら3つの作品に共通するのは「人間の存在に対する懐疑」ということなのだろう。人の生死とは別の次元の問題としての存在である。それはまさしく「言い様の無い」とか「得体の知れない」とかいう質の問題だ。僕は<絶望>や<叫び>よりも<不安>の方に、より強い恐怖心を抱く。それは<不安>に描かれている人物たちの、一様な無表情を真正面からこちらに向けているからであり、画面全体から音を何一つ感じることができないくらいに、完全に澱みきった雰囲気に作品が覆われているからである。<絶望>や<叫び>は、まだ個人の問題として片付けられうる余地があるようにも思えるが、<不安>はもはや人間という集団が抱える闇だ。
しかし、その闇があるからこそ光は渇望される。ムンクがしばしば描いた月や太陽は、それらが放つ光線とセットにして生命あるいは愛情の象徴として捉えられる。また、それぞれ白、赤、黒の服をまとった3人の女性を同時に描くことで人生を象徴したりもしている。それらは<生命のフリーズ>と呼ばれたシリーズに属する作品だけでなく、委嘱された壁画などにも描き込まれている。
僕が今回の展覧会でいちばん感銘を受けたのは、ムンクがオスロ大学の講堂に描いた<太陽>の習作である。習作とは言えかなり大きいし、ワすます現物を観たくなった。