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漱石の小説はもちろん面白く読めるが、彼の随筆的な文章も僕は好きだ。彼のナマに近い姿、考えが窺えるからでもあり、そこには共感できたり示唆に富んだ内容があったりで、非常に興味深いのである。
<硝子戸の中>は漱石が朝日新聞に約一ヶ月の間連載した文章だ。今でもこういう新聞連載はあるだろうが、やはり漱石の密度は濃いように思う。ほぼ毎日のように紙面を埋めなければならないのだから大変だっただろう。これが物語のある小説なら嫌でも話を進めていくことにはなるが、そうではない随筆や随想的なものの場合、その日の主題の選択そのものが、いや、むしろそのものの方が大変だったかもしれない。「何か書いてみろ」とだけ言われ、しかも時事的な内容ではないこと(これは漱石自身が外している)を自由に、ということは簡単なようで簡単ではないはずだ。だから全39編(ひとつの話で数編連続するものもいくつかある)の中には、漱石の子供時代の話、夏目家の話、犬や猫の話、友人や知り合いとの話、あるいは漱石の現在の身の回りの話など、さまざまなものがある。無理矢理に一筆を書かされる話など、漱石の苦りきった表情が僕らにも伝わってきて面白い(もちろん本人には気の毒だが)。 だが、これらの中で僕にとって最も興味深いのは、漱石を訪ねてきた女の話と、人生観のような話の部分だ。前者は、ことによると自殺しかねない女に対して、漱石が「そんなら死なずに生きていらっしゃい」と言うくだりにドキリとさせられる。そこには注釈がつけられていて、小宮豊隆の「是は恐らく漱石が、人間に、他人の好意や親切に対する感謝の心持が動く限り、その人にとって世界は住み甲斐のある世界である。従って、その人は当然生きているべきであると考えていた所から出た言葉なのだろうと思う。」という一文が紹介されている。漱石の言葉が本当に小宮の解釈どおりかどうかは分からないが、そうだとすればやはり心は動かされる。 これ(七)に続く(八)に、<硝子戸の中>での最初のピークが来る。漱石が自ら持つ死生観に対する強い疑念を呈している。彼自身は「死は生よりも尊い」という考えを根底に持ってはいるが、上述した女に対しては彼女の苦しみは「時」により解決されるべきだし、「いくら平凡でも生きて行く方が死ぬよりも私から見た彼女には適当だったからである。」と述べたという。死と直面して切羽詰まった人間が却って示す存在感の強さを認めながら、それを自分以外の生身の人間に対して適応させるべきか、という厳しい問題に漱石は対峙していたのだ。 またもうひとつのピークは(三十三)だろう。他人に対する態度、他人との距離感、つまり社会と自分との問題に悩んでいることを漱石は告白する。「今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。」とまで彼は書いている。死の前年の漱石である。 しかし、漱石は決して自ら死を選ばなかったし、<硝子戸の中>の最後では微笑ましいぐらいに平穏な場所に落ち着く。この(三十九)の終わり読むと、僕はマーラーの<大地の歌>の終結部を連想した。
by mwaka71
| 2007-11-16 00:39
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