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上野で降りて、最初はムンクを観ようかと思ったが、どうせ人が多いだろうから、いくらかは客が少なそうな(失礼!)岡倉天心を観に藝大美術館へ。
まだ出だしの部分だけなのだが、ちょうど天心の<東洋の理想>を読み始めていたところだった。この本は「アジアは一つである。」という、そのまんま、とも、なかなか大胆な、とも言える書き出しで始まる。その前に付けられている長い序文からも大方の流れは推測出来るのだが、要は「東洋文化だって素晴らしい」と言おうとしているのだろう。明治維新により一気に西欧文化が流れ込んできたばかりでなく、場合によっては盲目的にそれに追従することへの危惧の念の表れと捉えることも出来るし、それを背景にした自らの伝統文化のルネサンスを訴えたとも考えて良いのだろう。そういう思想の実践者としての天心に焦点をあてたのがこの展覧会という訳だ。 展覧会と言っても、天心自身は芸術作品を遺してはいないから、彼の指導や影響のもと創作活動を行った作家や、教育の場で用いられた教材等が展示の主体になる。と、思っていると狩野芳崖の<悲母観音>が目に入る。もちろん実物は初めて観る。作品自体の意外な大きさに軽く驚き、目を凝らして悲母観音がまとう衣の細やかな表現に感心する。同時にやや太めとも言える体型に気付いて、軽く「あぁ」と思う。隣に橋本雅邦の<白雲紅樹>という、やはり大きな作品が掛けられている。よく観ると画面の下部に二匹の猿が居る。それを基準に絵全体を観ると、景色の広がりの大きさも分かる。 しばらく進むと、実家にある日本の古典文学の現代語抄訳本のシリーズの挿絵代わりに使われていたいくつかの作品に出会う。例えば僕がずっと<椿説弓張月>の源為朝のイメージにダブらせていた小堀鞆音の<武士>とか、確か<義経千本桜>に載っていた下村観山の<嗣信最期>など。考えてみれば、このような絵は江戸時代でも描かれなかったのだから、新しいと言えば新しい絵なのだ。 巨勢小石の<技芸天女>という作品があった。カラフルだし、妙にくっきりしていて何だかアニメっぽい。と思いながら、何だかアルフォンス・ミュシャの作品も思い出す。彼にもチェコの伝説の女神を描いたものがあったな。その意味では、この展覧会にある多くの歴史画は、国民主義芸術なのだ。ミュシャのやったことと何ら変わりがない、ということだ。 さて東京美術学校では、絵画や彫刻ばかりでなく伝統工芸の技も教えた。そのための教材やそうした作品も並べられている。蒔絵とか彫金などである。<東洋の理想>の序文で天心のことをウィリアム・モリスのような存在だと述べている意味がよく分かる。工芸と芸術はそんなに遠くない関係だったはずだ。 こうして観てくると、天心の指導者としての大きさはよく分かるのだが、同時にここに表れている美術作品は、彼の歴史認識の象徴あるいは限界でもあるように思える。戦国から江戸期にかけての芸術は、彼にとっては評価の低いものだった。それは時代が近い分だけの近親憎悪かもしれないし、天心ひとりの問題でもないだろう。芸術に限らず、歴史や民族、あるいは伝統というものにどう向かい合うかという難しい課題が永遠に存在していることも感じずには居られない。
by mwaka71
| 2007-10-21 03:40
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