(文章データ欠落)せよ>を会期末に滑り込みのかたちで観ることが出来た。
彼の作品を初めて観たのは多分10年位前だったと思う。インパクトはもちろん大いにあった。ただ、その印象が10年を経て変わったかというと、そんなには変わっていない。とは言え、それがまた悪いことだとも思わない。何よりも、彼の作品=態度がもたらすものは、常に一定の問題提起を観る者に与えてくれていると思うし、それは決して時代のムードにも左右されづらいものだとも思う。
今回の展覧会は、彼の作品をただ並べるだけではなくて、彼自身の解説(来場者全員にイヤホンガイドが無料で渡される)をじかに聴きながら作品(と、その創作過程や意図)に触れられる。展覧会全体を「教室」として、彼の創作意図=態度をいくつかに分けて紹介する、という新しいスタイルの展覧会なのだ。今回はゴッホ、ベラスケス、レンブラント、ゴヤ、フリーダ・カーロ等の作品を元ネタにした森村の作品が中心に扱われていた。
元ネタに対する解釈=研究として新たな創作=再解釈が成立するという、面白い図式になる森村の作品が分かりやすく示されていたし、同時に遊び心や笑いにもきちんと向き合っている彼の態度も素晴らしいと思う。
しかし、今回僕がいちばん期待していたのは、実は「放課後」という扱いになっていた、三島由紀夫をモチーフにしたビデオ作品だった。三島が市ヶ谷の自衛隊に乱入して、自衛隊員に決起を促す演説の後に割腹自殺した、という有名な事件である。その演説の部分を森村が三島役として現れるのだが、それは現在の日本の芸術を取り巻く情勢に対する真摯な抗議として演説が行われるのである。一見、コマーシャリズムに乗っかっているようにも見える森村だが、実際には上述したような問題提起の精神=批評精神がしっかり存在しており、その意味ではアナーキーな存在なのかもしれない。それを如実に示したのがこのビデオ作品ではないだろうか。この展覧会の最大の見せ場は、実はこれではなかっただろうか。
ギリギリだったけれど、観逃さないで良かった。