広重の<名所江戸百景>(に含まれる作品)を初めて観たのは、多分美術の教科書でだろう。ゴッホが模写したことでも有名な<大はしあたけの夕立>だった。ただ、その頃の理解の仕方は「あのゴッホが模写した絵」という捉え方であって、何故ゴッホがこれを模写したのか、そうしたくなるような魅力は何処にあるのか、ということを考えたことは無かった。
しかし、年をとるに連れて、同時代の西洋美術には無い新鮮な面白さがあるように思えてきた。現代のデザイン・センスに通じる大胆な構図で描かれたものがたくさんあることに気付いたからである。例えば、目の前にある梅の枝を一部分だけ大写しにした<亀戸梅屋舗>(これもゴッホが模写した)や、富士山を遠景にして、目の前に巨大な鯉のぼりが宙を舞っている<水道橋駿河台>がそうだ。写実的に描くにしても、描かれる対象、画面として切り取られる部分を、厳格な遠近法により全て等価的に描くことと、主観を明確に反映させた結果としての非等価的な描き方の違いがある。
この本を読んでみると、画面上、近景にあたるものはその場所を示すシンボリックな物体が描かれる一方、遠景には一種の暗号めいたものが描かれている、と説かれている。全ての作品がそうではないだろうし、ちょっと深読みしすぎのような気もしないではないのだが、広重が単に構図的な面白さだけでそういう画面構成にした訳ではない可能性は大いにあると思われる。
また著者は広重がその場所を描いた時期やその頃の世相にも注目して、何らかの報道性をもそこに加味していると考えており、それもまた興味深い。娯楽であると同時に、マスメディアのひとつとしての浮世絵である。
ちなみに、僕は<王子装束ゑの木大晦日の狐火>という作品が好きだ。まあこれは上述の写実とは意味がちょっと違うのだけれど。