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あいにく、観ている最中に地震に遭う(多分、震度3)。そこからラスト10分間ぐらいはやや集中力を欠いてしまった(ビビリですから!)。もっとも、それだからと言って、作品そのものの評価が極端に変わる訳ではない。
1980年代末の東欧革命が起こる少し前の東ドイツが舞台である。主要登場人物は、国家保安省の局員、ヴィースラー大尉と、表向きは体制に従順な劇作家ドライマンとその恋人で役者のクリスタの3人。ドライマンとその周囲の反体制を疑う保安省は、ヴィースラーにドライマンの自宅を完全監視させることにする。 映画の中で描かれている、詳細な個人情報を含む国家統制の手法や、完璧なまでの盗聴、監視は恐らくほぼ忠実に再現されているのだろう(ちなみにこの数日の日本国内の報道を見ていると、どうも他人事ではないようだ)。 僕は、真実の追求や表現への欲求は、芸術家と括られる人々だけが抱く心理ではないと思う。だが、彼らはそういったことに敏感でなければ、真の表現者足り得ないものでもあるだろうとも思う。ドライマンたちが起こそうとする行動は、必然だった。一方、体制側はその必然を決して認めない。異分子はその存在自体を否定されなければならないのだ。 あくまでもカッコ付きで「表現の自由」を権利として持っている、現在の僕たちには、ヴィースラーやその背後に居る体制側の人々を、単にナンセンスで愚かだと考えるだろう。しかし、実際、あの当時、体制の傘の下で生きなければならなかった人々には、「愚か」と断じる前に恐怖であったはずだ。僕はこの作品を観ながら、旧ソ連時代に表現者として生きたショスタコーヴィチ、あるいはプロコフィエフなどを思い起した。特にショスタコーヴィチ。彼の死後に現れた<ショスタコーヴィチの証言>という本は、後に彼自身の真作でないことは明らかになったが、かと言って、<証言>で描かれたあの時代の空気そのものが全て嘘だったとは考えられない。芸術の持つ社会的な意味を、自発的に問い質していくのか、それとも体制側の求めるがままの虚像として生み出していくのか、それは彼らにとっては本当に命懸けだったと思われる。 <善き人のためのソナタ>では、ヴィースラーがある意味「裏切り行為」を働くことで、ドライマンは助かった。一方でクリスタは不幸な死を遂げる。恐らく、クリスタのような非業の死は、日常茶飯事だったはずだ。この映画は最後に救いが現れる。もちろん、背景には歴史的事実としての「ベルリンの壁崩壊」や「東西ドイツ統合」がある。その中で、最愛の人を失ったドライマンが、また自らの行いの意味を完全に理解したヴィースラーが、どう立ち上がっていくかが、わずかな時間ではあるが描かれていることで、ハッピーエンドではないけれど、少しだけホッとできる。 (文章データ欠落)題どおりに音楽が重要だと思ってはいけない。 かといって、それを差し引いても、映画としては意義の大きな作品だと僕は思っている。 (余談) 冒頭に出てくる、見るからにつまらなさそうなノリの舞台こそ、かの「社会主義リアリズム」というやつなんだろう。あんなのを見せられたら、吐くね(笑)。最後の方に出てくる舞台とはエラい違いだ。
by mwaka71
| 2007-06-07 23:12
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