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この本が売れているらしい。日々に疎いせいか知らなかった。まあ、もともとベストセラーというものにはあまり関心がないのだけれど。
書店で平積みになっているから目に入りやすい。タイトルのインパクトもさることながら、帯裏に掲載された本文の一部を見て関心を覚えた。 「死刑はやむを得ないが、私としては、君には出来るだけ長く生きていてもらいたい」(死刑判決の言い渡し後) 「この前から聞いてると、あなた、切迫感ないんですよ」(姉歯秀次に対して) などなど。 厳粛なイメージのある裁判官がそういうことを言っているという意外性である。その意外性を集めてみました、というのが本書らしい。 ただ、ざっと眺めてみたところ(もちろん立読みだから)、タイトルに偽りあり、である。「爆笑」なんてことはない。それは、その程度で笑えるかっ!、という意味ではなくて、そもそも笑いを求めた内容ではないということだ。確かに、法廷の場にほとんど無縁な僕たちからすれば、裁判官が被告に対して述べる言葉としては、かなりくだけた感じの言葉が並ぶ。 罪の内容を明らかにする、あるいはその罪を裁く場には、それにふさわしい形式があるのだろうし、法律や判例という基準、規範かつ制約の中で、導き出された内容を、正当と思われる根拠の積み上げで裏付けていくのが裁判官の仕事(の一部)なのだろう。 この巨大な論理のパズルは1ピースでもずれたら、忽ち全体が崩れるものだとも思う。だからこそ、本来は情緒的な要素を排除したい。 だが、被告人も人間なら裁判官も人間である。裁かれるのは、多くの場合、起訴理由となった行為そのものだけなのだろうが、その行為に至るまでの過程や、被告のおかれた環境条件などを一瞥もしない訳にはいかないはずだ。その一瞥は被告を理解しようとする姿勢を意味する。そこから溢れようとする言葉は、その裁判を総括する判決文という形式には合致しない。だから、この本に現れたような言葉が特別に口にされたのだろう。 「親友は、真の友ではなく、愛する妻は、良い妻ではなかったということですか。十分に理解はできる。しかし、殺害は許されない。わかりますね。」(妻と不倫関係にあった幼なじみの男を、包丁で刺し殺した被告に対して) 仮に僕たちが裁判官になったとして、量刑の判断が難しくないにしても、断罪することで終わって良いと思えるだろうか。全ての場合で、被告の行為と、被告の人格あるいは被告の人間としての存在意義とを、同時に裁くべきなのだろうか。 僕はあらかたを立読みしながら、笑いよりも、却って辛いものを感じずには居られなかった。
by mwaka71
| 2007-05-18 01:09
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