物語の表面をなぞっていくとB級作品なのだろう。チラシの裏面に書かれている「野望、情熱、愛欲、嫉妬、裏切り」というキーワードを繋ぎあわせていけば、それほど深みのあるようには思えない。
確かに、婚前とは言え婚約者が居るのに別の異性と関係を持ったり、「愛と愛欲は別だ」と言って本能のおもむくままにやたらにセックスを望んでみたり、もちろん浮気をしたり、相手を妊娠させておいてきちんとけじめをつけない上に、挙げ句の果てに相手を殺害、しかもそのために隣人も計画的に殺害する、というようにとめども無く倫理観を破壊していくさまは、一種の嫌悪感を抱かせる。
だいたい、その嫌悪感はジョナサン・リース・メイヤーズ演じる男、クリスに向けられるのだろう。だから途中から次第に観ている側も最後に殺人犯として逮捕されればいいのに、と思うようになる。また、逮捕がオチになるのかとも思う。
しかし、そうはならない。クリスがたとえ一生罪の意識に苛まれようとも、不十分と言えば不十分(冒頭にクリスがドストエフスキーの<罪と罰>を読んでいるのはラストへの伏線か?)。
ここでクローズアップされてくるのが、この作品のもうひとつの、しかも最重要のキーワード、「運」である。たとえ倫理観や善悪の判断について、明らかに結論が明白であったとしても、それと「運」、かつその作用による結果とは無関係なのだ。最後の方に、クリスが殺したノラ(スカーレット・ヨハンソン)と彼女の隣人のおばちゃんの亡霊との会話のシーンにそれが凝縮されている。そして、そこから世界の不条理もが浮き彫りにされる。
この不条理感・不条理劇が軽快な展開で描かれて行くあたりが、まさにウディ・アレン、というところなのだろう。