友人が死んだ。
亡くなったという日のつい2週間前に会った(3年ぶりだった)し、更に亡くなる5日前ではメールのやりとりもしていたのに、である。そヲられるはずだと思ったからだ。いずれにせよ、もはや彼女は居ない。
彼女は作曲家だった。彼女が芸大浪人している頃、当時の僕の同僚(彼女の先輩でもある)から、音楽のことを彼女にいろいろと話してやってくれ、と頼まれ、知り合った。僕は彼女に知っていることを話し、僕の持っている音源をかなりの量、まとめてあげたりもした。だから、彼女は僕のことを時折「先生」と呼んだ。年が6つ違ったせいもあるだろう。しかし厳格な師弟関係ではないから、僕は彼女のことを「友人」と呼んでも良いだろう(「知り合い」よりも濃いつき合いだったと思う)。
(文章データ欠落)約2時間弱。別れる時に何度か振り返り、手を振った彼女の姿は今でも鮮明に覚えている。
(文章データ欠落)た。それが最後だった。
彼女の死の理由が未だに分からないから、衝撃は未だに消えない。それでなくてもここのところ僕は精神的に不安定だった。
これは旅に出ないとマズいな。そう思った。最初、関西に行こうかと思ったが、宿が取れない。分かった瞬間に、別の場所がパッと思い当たった。
松江である。
12年前の晩秋、やはり僕は悩んでいた。もうダメだと思った。東京駅に着いてから、あまり何も考えずに寝台列車に乗った。寝台特急「出雲」だった。東京駅の書店でたまたま買ったヘッセの<シッダールタ>を携えて、僕は松江に向かった。松江に着いて、僕は宍道大橋に向かった。そこから飛び込もうかとも考えていた。夜、橋の上から宍道湖を眺めた。怖くなった。止めた。そしてその旅の中で考えた。自由になってみようと思った。当時の仕事を辞めることを心に決めた。
僕にとって松江は、結果としてではあるが、生きようと思わせてくれた街だ。
その松江に12年ぶりに向かう。