久しぶりにバルトークの<2台のピアノと打楽器のためのソナタ>を聴いた。
第1楽章、静かにゆっくりと始まる。直ぐにシンバルの一打ち。驚かされる。いつものことだが。2度目のシンバルの後に次第に音楽が走り出す。2台のピアノから出てくる音の密度が増してくる。緊張感が高まる。上昇音形が繰り返される。行き切ったか、という瞬間にアレグロ・モルトへ。メロディではなく短い動きの連続。打楽器(ティンパニ、小太鼓、大太鼓、木琴など)も入るが、至極モノクロームな響き。ほとんど彩りを拒否しているようにも聴こえる。
音の塊。もしジャズで同じような編成だったらどんな音楽になるのだろうか。もちろん打楽器にドラム・セットが入れば、一定のリズムをキープすることもあり得るだろう。しかし例えばマル・ウォルドロンのような(ここで言う場合は<フリー・アット・ラスト>のマル)ピアニストと、エルヴィン・ジョーンズ(もちろんコルトレーン・カルテットの時期の)のような打楽器奏者が組んだなら結構似たような雰囲気になるんじゃないだろうか。
譜面があるから、とか譜面が無いから(同じ意味で、アドリブに基づいているから)、という点だけで音楽の甲乙を付けるべきではない。当たり前のことだが、聴き手にとっては、そこで聴こえた音が全てだ。
第2楽章も緊張感が支配する。静けさの故に怖さを感じる、という音楽は多分マーラー以降になって生まれて来たものだろう。だがウェーベルンの音楽、あるいはそこに多く含まれる沈黙は、まだ美を感じさせるが、バルトークのそれは純粋に音楽そのものだ。美醜を越えた存在としての音楽。
第3楽章で緊張感から一気に解放される。今までのは何だったのか、と思うぐらいの解放感である。だがこれは前の2つの楽章があったからこそのことだ。これもまた見事なバランスであり、調和だ。