芸館で<清水寺展>を観た。
大分に居ながらにして清水寺の見仏が出来るのなら結構なことだ。そう思って出かけたのだが、印象としてはもうひとつ、である。
それは重要文化財の仏さんがあまり居なかったからではない。美術館での展示だから寺そのものの「引っ越し公演」(笑)とは行かないまでも、もう少し良い意味での荘厳さを感じさせて欲しかった、という点である。演出が無かった訳ではないが、逆の意味で少し安っぽくはないですか? 入口に流れる音楽!とか。
確かに現在の清水寺が観光地としての意味を持っているのだから、その延長としての展覧会だというのは理解できる。できるのだけれど、信仰を集め、拝まれる対象としての仏さんたちという存在と、美術史及び日本史的な観点からの価値とそこから派生してくる観光的な価値とを、もっと真摯に両立させる方法は無かったのだろうか。せっかくガラスケースの中だけでなく、「手に触れて拝んでください」という掲示を出すくらいなのだから、何か出来たはずだ。
とは言え、第2室の二十八部衆?揃い踏みにはそれなりに感銘を受けた。何もかもを照らし出してしまう電気の照明はほどほどにしたことで、却って心眼で見えてくるものがあるはずだ。自然光あるいはろうそくの限られた光量の中で対面していた古の人々の方が、目に見えない何かを確信していたのだろうなあ。