ふと思い出したこと。
僕は思春期の頃、明確な反抗期が無かったように思う。その分、という訳でもなかろうが、独りで悩んだことは沢山あった。結果としてその時期に、今に至る人格形成が為された、はずだ。それが良かったのか悪かったのか。まだ結論は出すべきではないだろう。
ところで反抗期は無かったけれど、子供の頃、一度だけ家出をしようとしたことがある。それはまだ僕たちが津久見に住んでいた時期だから、多分僕は4歳だった。さすがに3歳ではなかったと思う。
理由は覚えていない。まあどうせ今から見れば些細なことに決まっている。とは言え、大人にとっては些細なことであっても、子供にとっては重大事であった可能性は大きい。それは単なる世間知らずとも言えるし、純粋であったとも言える。どちらにせよ、その時の僕が家出をしようと考えたことは間違いないし、その光景自体は未だにはっきり記憶している。
さて、家出をしようと思い立ち、僕が取った行動。まずその頃大事にしていたトミカのミニカー10代以上を縁側で袋に入れた。多分、荷造りはそれでおしまい(笑)。当時、まだ小遣いを貰ったことはなかったから、お金は持っていなかったと思う。だがさすがにガキである。家出をするためには資金が要る、ということに全く思いが至っていないのである。
更に可笑しいのは、さあ家出するぞ、という段で、僕は親にこう言った。
「駅まで送って。」
38になった今でも僕は冷静さを欠くことはあるけれど、4歳のこの時程、能天気だったことはないと思う。
結局僕は家出が出来なかった。と言うか、しなかった。駅まで送れ、というセリフに親は呆れて大笑い、それでおしまい、ではなかったかと思う。
最初に書いたとおり、僕はその後に反抗期が来なかったから、実家を出たのも大学進学の時が最初だったし、社会人になって大分で働いていた時期も5年間は実家で両親と暮らした。家出らしい家出は、一昨年、決して計画的とは言えない状態で大分から東京に引っ越して以降、今に至るまでの状態がそれに当たるのだろうと思う。もちろん現在の住所は両親も知っているから純粋な家出ではないのだが、僕は半ば放蕩息子みたいなものだという自覚があるから、これもまた家出の一種ではないかと思っている。