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引越し後、ようやく一発目の展覧会観覧。
名古屋ボストン美術館で開催中の<ゴーギャン展>である。目玉は何と言っても今回の展覧会が日本初公開となる大作<我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか>である。あれだけの有名な作品だから、僕はもうとっくの昔に日本にやってきたことはあるのだろうと思っていた。まあ、それが初であろうとなかろうと間違いなく観に行くつもりではあったのだが。 最初から最後までゴーギャン作品ばかり、40点程並べられていたが、あまりにも<我々は〜>のインパクトが強いので、他の作品は霞んでしまう。もちろん、つまらない作品だとは思わないが、今回は<我々は〜>を中心にした展示であって、それに至る過程とその後、という感じで他の作品は配されていた。 <我々は〜>は大きかった。縦1.4メートル×横3.7メートル程あるそうだ。しかし、そんな実際の大きさよりも、作品そのものが語りかけるものは遥かに大きいと思う。画面上には12人の人物と犬や猫、鳥などが描かれているが、全体として直接的に連関している訳ではなく、ごく部分的に身体が寄り添っていたり視線が向けられている程度だから、相互の関係性は一見薄く見える。かと言って、ではそれが部分の寄せ集めかと言うとそうでもなく、全てがひとつの画面の中に収まることで初めてひとつの世界観が導き出されているようだ。逆に言えば、それぞれはその世界観に不可欠な構成物である。 恐らくこの作品については、技術的なことだとか形式的なことなどをあれこれ言うべきではないだろう。ここで示された世界観をただただ感じ、考えることだ。 この世界は荘重で静謐だ。だが、それは非人間的なものではない。描かれた人物たちは理想化や美化された存在ではない、という意味で。それらはむしろ実生活に近い存在である。実生活の中に荘重や静謐が見出されるのだ。画面上にある神像すらも、実生活の一部であり、断絶した存在ではない。 僕たちは、まずこの作品に付された題名にまず衝撃を受けてしまうし、その題名を眺めただけで作品を分かったような気分にさえなってしまうかもしれない。題名もまた作品の一部と思えば、それもアリなのだろうけれど。しかし、であるならば、この<我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか>という大きな問いかけの答えを探すという作業も行わなければ、この作品を観たことにはならないのではないか。 この作品がゴーギャンの到達点であるとすれば、ゴーギャンはこの問いかけそのものを見つけるために作品を描き続けていたことになる。西洋文明からの脱出は単なるエキゾティシズムではなかった。自分というものの存在を、自分が属してきた西洋の伝統(歴史、文化、風俗、宗教など)による捉え方を出発点にするのではなく、もっと根源から問い直すために、全く違った尺度が彼には必要だったのだろう。その意味で、タヒチが「楽園」であるかどうかは実は問題ではなかったのではないかと思う。 <我々は〜>を体験するということは、娯楽や教養としての絵画鑑賞というレヴェルで捉えるべきではないだろう。僕は一種の哲学体験だと思う。
by mwaka71
| 2009-05-02 21:39
| 芸術
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